【おすそわけ】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

【おすそわけ】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

「おすそわけ」は日本の文化といわれる。他の国には、おすそわけの習慣はないようである。当然だろうが、英語に該当する言葉はない。
おすそわけ(御裾分け)は、「すそわけ(裾分け)」の丁寧語で、多くは「おすそわけ」の形で用いる。「もらいものの利益を、さらに他の者に分け与えること。その品物。お福わけ」である。

「裾」は衣服の末端にあり重要な部分ではないことから、特に、上位の者が下位の者に品物を分け与えることを「裾分け」と言う。『語源大辞典』(堀井令以知 東京堂出版)には、「衣服の末端のスソが、わずかなものの意になったか」とある。
しかし、現在では本来の上から下へという認識は薄れ、単に分け与える意味で用いることが多いようである。

「わずかなもの」という意味が根底にあるが、わずかなものかどうかはともかく、「おすそわけです」と言って品物を人にあげる場合、背景には謙虚な気持ちがある。あるいは、そうやって謙虚な気持ちを示す。
たいしたものではないですよ、おすそわけですから、負担に思わず、受け取ってください。

そして、その奥には、「だから、お返しはいりませんよ」という心が潜んでいる。見返りを求めない心であるが、他方、日本には贈答の文化がある。贈り、贈られる。贈られたのにお返しをしないのは、仕来りにはずれることになる。

そういう日本人のメンタリティーはともかく、おすそわけの習慣は、日本人の人と人のつながりを築き、保つのに機能してきた。が、しかし、「そんなこと、めんどう」という人も増えてきているのではないだろうか。日本に来た外国人は贈答もおすそわけも理解できず、嫌がる場合が多いようである。

そんなふうに思わないで、ご近所さんとは仲良しになり、たまにはおすそわけの一つもするとよいと思う。

今では、いただき物を人にあげるとき、「いただきものだから」とか「もらいものだから」と直接的な言い方をする場合が多い。
「いっぱいもらったんだけど、うちでは食べきれないから、食べて」などと言うが、せっかく「おすそわけ」という良い言葉があるのだから、
「おすそわけでほんの少しで悪いけど、どうぞ」
「おすそわけで悪いけど、よかったら食べて」
などと言うほうがよいと思う。

おすそわけは本来、立場や社会的地位が品物を与えることであるから、下のものが上の者に対して行う場合、相手によってはいちおう注意したほうがよい場合もあるだろう。
職業や会社で他人の貴賎を判断するような人がいる。そういう人はプライドが高いのか、それが自分よりも下位にあるとみなしている人からおすそわけにあずかると、不快に思う人がいるようである。

かつて、いつも午後の早い時間には近所のとある喫茶店で仕事をしていたことがあったが、同じ時間帯にギャンブル仲間四人、五人集まり、たまり場にしていた。ラジオで競馬放送を聴いている。
あるとき、そのうちの一人の男が競馬で大当たりする場面に出くわしたことがあった。二百五十万だったか、三百万だったか。すると翌日、その男が仲間に一万円ずつ配っていた。
幸運のおすそわけ、お福分けだろう。

自分が困ったときに幸運にも誰かに助けられた経験があると、同じように困っている人を見ると放っておけず、救いの手を差し伸べる。
連続テレビドラマ『深夜食堂』の映画版の一篇。息子を騙る「来い来い詐欺」にのせられて上京し、二百万を渡してしまう高齢の女性。息子は幼い頃に捨てたため、現在の住所も知らないが、会いたい気持ちがあって東京に留まる。
お金に余裕がない女性に、深夜食堂の客で調理人として働く若い女性が手を差し伸べ、自分の住むアパートに泊める。高齢の女性は無事息子の姿を見ることができ、福岡に帰る前夜。感謝の言葉を述べると、若い調理師の女性が、こういった感じの台詞を口にする。
「私も上京して住むところも仕事もなく困っているとき、深夜食堂のマスターに助けられたことがある。そのおすそわけです」

少し無理がある使い方のようにも思うが、おすそわけの順送りということだろう。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。