【そぞろ歩き】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉
昭和四十年初頭に渡哲也や竹越ひろ子が競作しヒットした昭和歌謡『東京流れ者』の一番の詞に次のようにある。
流れ流れて 東京を
そぞろ歩きは 軟派でも
心にゃ 硬派の 血が通う
花の一匹 人生だ
あぁ 東京流れもの
そぞろ歩きは「漫ろ歩き」と書く。つまり、漫然と歩く。特にこれといった目的もなく気ままに歩きまわることをいう。
現代の日本、人は用があって歩くほかに、健康のために歩く。「散歩ですか」と聞かれ、「いいえ、ウォーキングです」と真面目に答える人がいるが、散歩に相当する英語はウォークである。
立川昭二さんの『いのちの文化史』によると、散歩は漢語で、語源は中国の三国時代にさかのぼる。当時、五石散という漢方薬が貴族や文化人の間で滋養強壮薬として流行した。配合している主薬は五石(石鐘乳、紫石英、白石英など)で、服用すると体が熱くなる(散発)のだが、散発がないと体に毒(悪い気)が溜まり害になるとされた。
それが歩くことによって、気が散り、気晴らしになるとから散歩という言葉が生まれた。
つまり、薬学用語だった。五石散は石薬のひとつで、日本には唐の高層・鑑真が伝え、不老長寿の薬に使われ、聖武天皇も愛用されたいという。
現代の辞書をあたると、『大辞泉』(三省堂)には、「気晴らしや健康のためなどに、ぶらぶら歩くこと。散策」とある。他の辞書にも、「ぶらぶら歩くこと。そぞろ歩き」と説明されている。
現代の概念としての「散歩」は、欧州では古代から健康法のひとつとして行われていた。ソクラテスなどの古代ギリシャの偉人たちも健康のために散歩した。
日本で健康のための散歩が行われるようになったのは明治の文明開化時で、西洋から輸入された。福沢諭吉は慶應義塾の有志の学生たちと毎朝六キロ歩き、彼らを散歩党と呼んでいた。速歩で歩いたというから、現在の健康ウォーキングを先取りしているといえるだろう。
散歩は漢語で、その類語の漫歩を日本語に読み下したのが「そぞろ歩き」である。散歩や漫歩よりも、「そぞろ歩き」のほうが語感がやわらかく、情趣がある。
そぞろ歩きは、悠然と歩かなければならない。足を上げたり、手をふったりするのは似つかわしくない。すり足気味に歩くのがよいだろう。
もちろん、手ぶらが望ましい。かつて昭和四十年代頃までは、新宿などの繁華街では、その筋の人が、親分を中心に、若い衆が周りを取り囲み、いかにもそぞろ歩きといった風情で歩いているのを見かけたものだった。
目的もなく、漫然とぶらぶら歩いているとき、偶然行き会った顔見知りから、「健康のためにウェーキングしているんですか」と聞かれたときは、「いえ、いえ。そぞろ歩きしているだけですよ」と答えると格好いいと思う。
また、現代の都市では町歩きが趣味として普及しているが、そぞろ歩きを意識し、漫然と歩くのがよいのではないだろうか。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。