【一見(いちげん)】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

【一見(いちげん)】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

「一見(いちげん)」は、料理屋や旅館などで、馴染みではなく初めての客を言う。 高級な店では「一見」の客を断ることがある。「すみませんが、うちは一見さんはお断りしています」などという。
一方、一見客相手の商売もある。
「うちは一見さん相手ですから……」というように使う。

たとえば、かつて、連れ込み旅館、今にいうラブホテルに忘れ物をしたことに気づき、問い合わせたところ、「うちは一見さん相手(の商売)ですから……」と、つっけんどんな対応をされたものだった。取りあわない。客と関わり合いを持つことを拒否している。一見相手の商売の厳しさが伺える。

あるいは、アメ横の屋台の店で牛丼を食べ終わった年配の客が帰りがけ、「ごちそうさん、おいしかったけど、もう少し味が薄いとよかったなあ」といったところ、店主が「うちは一見相手だから、味に文句をつけるなら来なくていい」と、えらい剣幕で怒り出したのを見たことがあった。田舎からのお上りさんだったのか。
どちらも、馴染みは持たないという姿勢を貫いている。

前述したように、高級な店では「一見」の客を断るのが普通だった。紹介者なしでは入れない。
ただし、現代は社会や世相の変化で格を保つことが難しくなったためか、それとも日本経済の頭打ちで競争がいっそう激しくなったからだろうか。バブルがはじけた頃からは、京都の祇園などの馴染み客しか入れなかった店も、このような習慣が崩れ、一見さんを入れるところも出てきた。それに伴い「一見」の言葉も失われつつある。

「一見」は元来遊郭で、遊女に初めて会うことを言った。初会で、二度目に同じ遊女を買うことを「裏を返す」と言った。
今では「一見」の言葉はあまり聞かれなくなったが、しかし、一見の客相手の商売がなくなったわけではない。
たとえば、新宿の思い出横丁の店で、ある中年男性が隣に座った外国人にビールを飲ませようとして、店のおかみにグラスを頼んだところ、「そんなことはしなくていい」と怒られた客がいた。昼飲みで有名な下町の居酒屋では、客同士が連れになることを禁じる張り紙がある。一見気質は生きているのである。

それはともかく、敷居の高そうな店や会員制という札をかけているお店で飲食したいと思ったとき、「一見ですけど、いいですか」とたずねると、粋ではないだろうか。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。