【待宵(まつよい)】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

【待宵(まつよい)】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

「待宵(まつよい)」には二つの意味がある。一つは、「翌一五日の宵を待つ」意で、「陰暦八月十四日の夜」のこと。小望月ともいう。昔の人は、この言葉ができるほどに十五夜を待ったのだろうか。
もう一つは、「来るはずの人を待つ宵」のことである。
大正浪漫を代表する画家で詩人の竹久夢二の有名な作品に『宵待草』がある。

待てど 暮らせど 来ぬ君を
宵待草の やるせなさ
今宵は 月も 出ぬそうな

宵待草は植物学上の正式な名称は「マツヨイグサ(待宵草)」で、辞書には「宵待草」は「オオマツヨイグサ(大待宵草)」の別名とある。
竹久夢二の『宵待草』は最初、『待宵草』だったが、音感のよさから『宵待草』に変更したという。ちなみに、『宵待ち』は辞書には「宵になるのを待つこと」とだけあり、「来るはずの人を待つ宵」という意味は載っていない。

それにしても、宵待ち(来るはずの人を待つ宵)とは、なんと情趣に富んだ言葉ではないか。ある日の宵、カフェで恋人と待ち合わせたが、時間を過ぎても来ない。そこへ、偶然友達が来て、「一人で何してるの」と問われたとき、「まつよいですよ」あるいは、「よいまちですよ」と答える。
相手はこの言葉もその意味も知らないだろうから、「はあ、まつ?」と怪訝な顔をするだろうから、「そう。待っているんだよ」と、とぼけて返せばよいだろう。

余談であるが、静岡県の伊東温泉には「宵まち通り」という歓楽街があったが、今も健在だろうか。また、ネットで調べたら、山口県に「よい待ち旅館」という旅館があった。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。