【怒るで、しかし】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉
戦後昭和の半ばすぎ、漫才で天才をとったといわれた、やすしきよしのコンビの横山やすしさんのお決まりのセリフである。
きよしさんのツッコミを受けて、やすしさんが、「怒るで、しかし」と応じる。「しかし」と接続詞でつなぐから、聞いているほうはその後にどんな話が続くかと期待するが、言いさすのである。あるいは、その後に「ほんまに」と続けて、止める。
今でもインターネットで「横山やすし。怒るで、しかし」で検索すると、「あれはどういうことなんだろう」という投稿が複数出てくる。
思うに、元々は、「しかし」で止めなかった。「だいたいやな」などとつなげて、怒る理由を説明し、話を展開したものだった。「しかし」は、前の言葉(相手の言葉)を否定する前置詞である。
ところが、演芸の舞台でやすしさん、「しかし」の後に続くセリフを忘れてしまったのか。「しかし」の後に言葉が出てこず、微妙な間ができたが、それが観客に受けたのではないだろうか。やすしさんの「怒るで」は、関西弁で、しかも「おこ」を強く発音し、それが聴く側の耳に焼き付く。
「しかし」で止めるので、それは言いさしであるが、やすしさんのは、きっぱりと言い切る。それが聴く側の耳に快かったのだろう。
やがて、やすしさんが、「怒るで、しかし」と言うと、それはギャグであり、決め台詞ともなり、観客は喜び、大笑いしたのだった。
このフレーズは、親しい間柄では使える。相手がからかって、小馬鹿にしたようなことを言ったときなど、関西弁のトーンを真似て「怒るで、しかし」と返せばよいと思う。笑いながら。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。