【日にち薬(ひにちぐすり)】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

【日にち薬(ひにちぐすり)】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

京都、大阪など関西で使われてきた言葉で、今も使われている。腕を骨折した友人が、
「だいぶよくなってきたが、まだ、咳をすると痛いねん。あとは日にち薬やね」と言う。

「日日薬(ひにちぐすり)」の意味は、「あとは日にちがたてば自然によくなること」
月日、歳月が薬代わりとなることで、「骨折には日にち薬がいちばんだ」とか、「日にち薬が治してくれる」などと用いる。
病気や怪我だけでなく、悲しい出来事、つらい経験についても、時がたてば次第に記憶が薄れ、やがて乗り越えられるというニュアンスでも使われる。

関西で使われてきた言葉のため、方言として扱われたからだろうが、国語辞典には収録されていなかったが、二〇〇八年に三省堂国語辞典に初めて見出しに載った。今は大辞泉電子版にも収録されている。
病気や怪我で入院した知人が治療を終えて退院し、自宅療養するまでに回復してきたとき、
「よかったですね。日にち薬ですから、もう少しの辛抱ですね」とか、「もう安心ですね。後は日にち薬ですね」と言って励ますとよいだろう。

ただし、最近はこのこの言葉、違う解釈をする人もいるようである。
関西以外の人はなじみがないため、最近の若い人は、医師に「あとは日にち薬が治してくれますよ」と言われたら、治療法がないからそう言われたと受け止めた人がいたという話を読んだか聞いたかしたことがあった。

ところで、令和三年十二月十八日、女優の神田沙也加さんが急死した。三十五の夭逝。十二月二十四日付けの日刊ゲンダイが沙也加さんについての記事を載せていたが、文の終わりに下記のように書かれていた。

11月9日には、沙也加さんは自身のインスタグラムにこう意味深な投稿をしていた。
〈不甲斐なくて後悔で哀しくて、聴けなかった曲が、やっと聴けた。こればかりだったのに今日まで歌えることもなかった。新たに引き締まる気持ちもあるけれど、時薬に頼り過ぎることなく、今度こそ誠実に向き合いたい〉(※編集部注「時薬」とはどんなに困難があっても、時間がすべて解決してくれるという意味)
胸の奥底に何らかの問題を抱えながら、突如、あまりにも短い生涯の幕を下ろしてしまった神田沙也加さん。今は冥福を祈るばかりである。

「時薬」という言葉を「日にち薬」と同じ意味で用いているが、この言葉、いつ頃からかはわからない、古い言葉かどうかもわからないが、巷間用いられてきたようである。
調べてみたら、畑中恵さんの時代小説に『ときぐすり』がある。これを題名にしたことについて、畑中さんはウエブサイト『本の話』のインタビューに次のように語っている。

「現代もの小説を読んで知った言葉で、文字通り『時がたつのが薬になる』意味で遣われていました。いい言葉だなあと思って調べてみると、江戸時代に『時薬(じやく)』はあっても、『ときぐすり』という言葉はありませんでした。でも江戸時代にはもちろん『とき』『くすり』どちもある。作中の滝助のように『時薬(ときぐすり)』と読んで『時がたつのが薬になる』意味で遣われる可能性はあるのではないかと思って、この言葉を題名にしました」

現代では『時薬』というタイトルの楽曲もあるようである。今後、「日にち薬」も「時薬」も、どうなっていくだろうか。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。