東 雑記帳 - 「今日一日」が養生の基本──五木さんの習慣
作家の五木寛之さんが、自分流の養生法を実践していることは割合によく知られている。
五木さんの養生法はすべて自分で編み出したもので、体験に裏打ちされている。実践している習慣をまとめた本に『なるだけ医者に頼らず生きるために私が実践している100の習慣(中経の本)』がある。
100のうちの2番目が、「『身体語』のマスターが第一歩」とある。100の習慣はどれも納得できるが、再読してみて、自分も取り入れたいと思ったのが、54番目の「『きょう一日』が養生の基本」。次のように述べられている。
私が五十を過ぎてから決断したことが、「難しいことはやらない」ということです。私は、子供の頃から意志の弱いタイプの人間で、苦しいこと、辛いことを努力してつづけることが大の苦手でした。
中年すぎまで、努力しようといろいろやってきた。しかし、面倒なことは1日はできても3日は続かない。できないことは悩んでもしかたがないので、縁がなかったと思ってあきらめるという。
ヨガや気功を例に挙げ、「養生法として優れていることは間違いないが、厄介で面倒なことが多すぎる」と述べ、次のように続けている。
その道の多く深さに感動して虜になってしまうというのは、すでに養生法ではありません。呼吸法1つとっても、深く追求していけば必ず宗教的境地に達するでしょうが、私はそこまでいく必要はないと思います。養生をする人が、みんな修行者になる必要はありません。
そして、次のように結論づけている。
永遠の命を養うようなことが、養生ではありません。今日一日の命をいきいきと全うすることです。明日も続ける必要はありません。きょう一日のために何かするのですから、明日は明日でまた別のことをしてもいいのです。
「きょう一日」。そいたこれまでそんなふうに生きてきた私の、養生の基本なのです。
最初読んだときは、この54番の養生法には心を動かされなかったのだろう。これまでの自分は継続することが基本と信じ、なんとか続けようとしてきた。今回、五木さんのこのような考え方に惹かれるものがあり、早速この養生の基本を取り入れたが、数日でなかなか難しいことに気づいた。1か月たった今も、飲食の生活は乱れている。
具体的に、どうすればよいか、皆目わからない。見識も経験も違いすぎ、五木さんが言っていることが十分理解できていないのだろう。元のとおり、同じことを続けるほうが自分には合っているような気がする。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。