東 雑記帳 - 兜太さんの尿瓶健康法
俳人の金子兜太さん(大正八年=一九一九~平成三〇年=二〇一八)は、七七歳の頃から就寝時は尿瓶を使っていた。あの、病院で使わされることがある尿瓶である。慣れないと、なかなか尿が出てくれないし、思い切りできない。
兜太さんは、夜間就寝中はトイレに行かず、床の上で尿瓶を使って小用を足した。その習慣を尿瓶健康法と称し、それはマスコミを通して広く知られるようになった。そして、「これは立派な健康法ですよ」と、尿瓶健康法を提唱するまでになった。
尿瓶を使うきっかけは、父親の先訓があったからだという。秩父の山国の寒いところ。父親は、若いときから健康にいいと言って、素っ裸で寝る癖があった。八八歳のとき、夜中に寒い廊下をのこのこ裸でトイレに歩いていって、帰ってきて、そのまま脳がはじけて死んでしまったというのである。
尿瓶の使い方について、兜太さんは俳優の小沢昭一さんとの対談(愉快、愉快! 尿瓶健康法のすすめ。─老いらくの花─小沢昭一、文春文庫収載)で、
「私はベッド中心なんですよ。だからね、ベッドで腰掛けてやったり、ベッドの下に置いといて、立ち上がってパッとやる。だから、こぼすこともありません」
この対談が行われたのは二〇〇六年であるから、兜太さんは八七歳、尿瓶使用歴は十年にも及んでおり、達人の域に達しているようである。
しかし、飛沫は飛ばないのかと、余計な心配をしてしまう。
対談相手の小沢さんはこのとき七七歳で、尿瓶は七年前、七〇歳の頃から使用していると打ち明けると、兜太さんは「早いね。それは賢明ですね」と感心しているふうである。
就寝中の排尿回数は、兜太さんが三、四回、小沢さんが三回というから、そのたびにトイレに立つと安眠の妨げになるのは間違いないだろう。
この頃の兜太さんは、味のある風貌と語り口、話の内容の面白さが受けて、メディアに露出が多く、そこでも尿瓶健康法の話をするものだから、尿瓶の売れ行きにずいぶん貢献することになったようだった。
さて、令和の現代でも、日刊ゲンダイには毎冬になると、健康欄に「もう寒い家はやめませんか」という見出しが躍る。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。