東 雑記帳 - 懐かしの切腹羊羹
子供の頃に食べた、袋を爪楊枝で刺すと、袋が破け、中の羊羹が飛び出す、丸い羊羹。楽しくて、うれしかったなあ。あの羊羹、最近全然見かけない。あれは何という名前だったか。「マーブル羊羹」と呼んでいたような気もするが、それは記憶の錯覚だろうか。この名は自分で勝手に付けた名前のような気もする。
そんな思いが頭の片隅に残っていたからだろうか、就寝前に内田百閒さんの随筆集『百鬼園言行録(六興出版)』をめくっていたところ、「切腹羊羹」という文字が目に飛び込んできた。「蜻蛉玉」という随筆で、文にちょっと目を通しただけで、すぐに、あの丸い羊羹のことだとわかった。
そう言えば、「丸羊羹」と呼んでいた気もしなくはない。そこでネットのウイキペディアにあたったところ、「玉羊羹」の名前で載っていた。
「玉羊羹とは、ゴム製の風船を容器として売られる球状になった羊羹のこと。風船羊羹、ボンボン羊羹、異名として切腹羊羹とも」とある。
概要の欄には、「表面のゴム皮に傷をつけると、つるりと皮がむけて中身の羊羹が食べられる」
さらに、次のように解説されている。
「日中戦争の一九三七年、福島県二本松市の和菓子店『玉嶋屋が開発した。戦場の兵士に送る慰問袋用の菓子として、日本陸軍から開発の指示が出されたものである。当時は、『日の丸羊羹』の商品名だった」
「同じような風船入りの羊羹が他社でも生産され、駄菓子屋などでも売られた。戦後になって玉嶋屋のものは『玉羊羹』と改名された。形状や開封時の面白さなどから、『まりも羊羹(北海道)』や『玉花火』のように土地の銘菓として売っているところもある」
なるほど、『玉花火』とは言い得て妙である。岩手県出身の者に聞いたら、『まりも羊羹だよ』
と即答した。
『切腹羊羹』も、この名を聞くと、爪楊枝をプツッと刺すことから『切腹』の感じしなくはないが、先の大戦で自死した帝国軍人に連想が飛んでしまった。
自分が『マーブル羊羹』と呼んでいたかもしれないと思うのは、生まれた土地の周防大島では、ビー玉をマーブルと呼んでいたことと関わりがある。下関に引っ越したら、ビー玉と呼んでいるのに驚いた。
英和辞書をひくと、「marble」は「大理石」「ビー玉marble)でビー玉遊び」とあった。
なるほどと合点がいった。
というのは、生まれ故郷は明治の頃からハワイ移民が多かった。自分の曾祖父夫婦は移民しなかったが出稼ぎに行っていた。そういう人たちが、英語のマーブルをそのまま伝えたのだろう。
玉羊羹をつくっているところは減っており、残念な気がする。
新橋の和菓子屋が『切腹最中』を考案、発売したところ、取引先等に謝罪に行くときに持参する手土産として人気になった。「今回のミスは切腹ものです」と、真情を物(最中)に載せて謝罪する。まことに日本人らしい。
この伝に習って、『切腹羊羹』として売り出したらどうだろうか。自ら爪楊枝を刺し、取り出した羊羹を相手に差し出す。身代わり羊羹というわけで、つい妄想してしまった。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。