東 雑記帳 - 旧ソ連の船員
昭和48、49年頃、横浜の小さなホテルで働いていたときの話の続きである。
土地柄、外国船の船員たちが団体で泊まることがあった。船会社の代理店があって、彼らの世話をした。
バーチャーと言っていたが、朝、夕の食事のチケットが配布され、彼らはそれを使ってホテルのレストランで食事をした。
ところが、ソ連の船員たちは、12、13人ほどいたが、誰一人としてレストランに来ない。1日たっても2日たっても、それは変わらない。「いったい食事はどうしているんだろう」とホテルの従業員たちのあいだで噂になったが、ハウスキーピングの女性の一言で、疑問は解けた。
「あの人たちは、ウオッカを飲んで、黒いパンを食べている」
東西冷戦の旧ソ連時代、ソ連にとって日本は仮想敵国であった。日本を信用せず、レストランの料理も安全とは思えなかったのだろう。
ソ連の船員の話に戻ると、ホテルに滞在中のある日、彼らが近くの銭湯に行き、「おんな、おんな」と騒いだため、パトカーが出動する事態となった。
彼らは、トルコ風呂(現在のソープランド)と銭湯を取り違えていたのだった。ホテルから歩いて10分ぐらいのところには、有名なトルコ街があった。
食事のことは信用せずとも、女性は信用したらしい。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。