東 雑記帳 - 映画ひめゆりの塔。死んだ女生徒が動いた

東 雑記帳 - 映画ひめゆりの塔。死んだ女生徒が動いた

小学三年か四年のとき、学校から団体で映画『ひめゆりの塔』を観に行った。
二人で一つの座席に座らされた覚えがあるが、それは『釈迦』を観たときだったか。
この映画は、昭和二十八年(一九五三)に封切りになった東宝の作品。舞台は昭和二十年(一九四五)三月、大東亜戦争の末期、米軍が沖縄上陸作戦に着手した沖縄。沖縄師範学校女子部はひめゆり部隊として陸軍病院に配属され。看護の仕事に携わることになった。しかし、米軍の攻撃は日増しに強くなり、ひめゆり部隊は追い詰められた。そして、先生共々、全員が敵の銃弾に斃れる。

崖の上と思われるところで全員が斃れる厳粛なエンディングのシーン、倒れている女性とたちを子供たちも厳粛な気持ちで観ていたと思う。自分は、息をつめて見つめていた。
しかし、そのとき、絶命したはずの女生徒たちが二、三人か三、四人、ほんのわずかであるが、体が動いたのである。
それを子供たちが見逃すはずはなかった。厳粛な大団円の場面を目にして、子供たちから笑い声が沸き起こった。それは、子供ながらにここで笑うのはよくないという抑制が働いたのだろう、遠慮がちの小さな笑い声だったが、しかし、笑いをこらえられなかった。

愛国心と戦争の悲劇を描いた映画であるが、最後のこの場面がそれを台無しにした。
何かを学んだ思いはなく、ただただ、このお間抜けな場面だけが今も記憶に残っている。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。