東 雑記帳 - 縞柄が入試問題を運んできた

東 雑記帳 - 縞柄が入試問題を運んできた

高校は二十分くらい歩いて上った丘の上にあった。北九州の私立高校だった。

校舎や事務所の建物がある正面は、あまり広くはないが広場になっていていた。
昭和四十一年(一九六六)、高二の二月のある日の放課後のこと。広場がなにやら騒がしい。
見ると、広場に一台のトラックが止まっており、生徒が何人かはやしたてているようだった。
近づいてみると、荷台には見慣れない黄色い横縞の服を着た男が三人ばかり、荷物をいじっている。
服は囚人服だとわかった。

数人の生徒が、囚人とおぼしき男たちに、
「おーい、おまえら、悪いことしたんやろ。はんざいしゃ!」
などと、わめくと、荷台の上の男達が作業の手を一瞬留めて、はやし立てた生徒たちをにらむ。すると、その悪ガキ連中は、
「おーい、文句あるか!? くやしかったら、来いよー、来いよー」
相手は手出しができないのがわかっており、言いたい放題であった。

あわてて先生が二、三人、事務局がある建物から出てきて、生徒たちは追い払われた。
刑務所のトラックが運んできたのは、その年の入学試験の問題用紙だった。
試験問題は刑務所で印刷しているという話を聞いたことがあったから、トラックと囚人服を見て、すぐにそれとわかった。
しかし、そのことよりも、囚人服は縞柄と相場が決まっていると思っていたが、実物を目のあたりにして、本当のことだったと妙に納得したものだった。横縞の連中は、小倉刑務所の服役囚だった。

それから幾星霜。
神田のガード下の居酒屋で某出版社の一回り以上も年下の編集者と飲んでいて、何の拍子か、たまたまその話に及んだ。
すると、隣のテーブルの丸刈りの男が話しかけてきた。同じ年回りと思われた。少し普通はは違う雰囲気がただよっている。
「先生、わし、若い頃、中で校正をしてましたよ。赤字をみて、活字を拾い、直してました」
西のほうのイントネーションだった。懲役で印刷に従事したことがあったのだろう。
当時は活版印刷で、その男はたぶん、試し刷りした青刷りに入れた校正に従って、活字を拾い、誤植を直したらしい。

「先生」とは恐れ入ったが、それは聞かなかったことにして頷くと、その男は問わず語りに中の話を続けるのだった。

それにしても、大声で話していたわけではなかったが、テーブルが接近していたから自然に耳に入ったのだろうか。うかつなことはいえないものだと思った。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。