東 雑記帳 - 関門トンネル、蒸気機関車、煤だらけ!

東 雑記帳 - 関門トンネル、蒸気機関車、煤だらけ!

高校は地元下関の県立を受験して滑り、北九州八幡にある私立高校に入学した。汽車通学で、関門トンネルを通る。
当時(昭和39年=1964~昭和42年=1967)、今と同じ電車もあったが、ディーゼル機関車も走っていたし蒸気機関車も健在だった。

蒸気機関車がトンネルに近づくと、汽笛一声。ボーッと鳴ると、乗客はそろそろ列車の窓を閉めなければと身構える。トンネルの中で窓を開けっぱなしだと、煤煙が舞い込んでくるからである。風圧は半端ではない。
座席は4人席のボックスで、普通は窓側の2人のうちのどちらかが、あるいは2人が協力して窓をおろす。誰もが今だと思うタイミングがあるが、その呼吸が合うとは限らないし、
うまくいくとは限らない。

問題は、暑い夏である。冷房はないから窓は開けている。窓を閉め切ると暑くてたまらないので、トンネルに入る直前まで窓を閉めたくない。というわけで、トンネルに今入るそのとき、ぎりぎりまで窓を開けているのだが……。
締めるタイミングを間違え、ちょっとでも遅いと、進行方向を向いた側の座席には窓から飛び込んできた煤煙が窓から直撃する。

一方、進行方向とは逆向きの座席の者は、煤煙をあまり気にしないですんだ。
こんなときもあった。
こちらが進行方向と逆向きの座席に座っていて、早く窓を閉めたいと思っているのに、向かいの座席には、ごついおっさんが座っていて、カップの日本酒を飲みながら平然としており、窓を閉めようとする気配はまったくない。
そのおっさんの気持ちを忖度し、閉めるタイミングを図っていたが、気後れしてタイミングが遅れ、哀れ、煤煙を浴びることになった。高校の制服は半袖の開襟シャツで、飛び散った煤がむき出しの腕に点々とついた。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。