病気と歴史 - 心臓病発作を生活改善に努めて乗り越え、2期職務を全うした、アイゼンハワー大統領

病気と歴史 - 心臓病発作を生活改善に努めて乗り越え、2期職務を全うした、アイゼンハワー大統領
1952年、20年ぶりに共和党政権を実現

第34代米国大統領、ドワイト・D・アイゼンハワーは、1890年にテキサス州デニソンで生まれた。陸軍士官学校を卒業し、陸軍に入った。アメリカの第2次世界大戦参戦後はヨーロッパ侵攻作戦の立案にあたり、1942~1943年にヨーロッパ派遣アメリカ軍司令官としてノルマンディー上陸作戦を指揮した。

以後、ドイツに対する反攻を続けて連合軍を勝利に導いた。この間、1944年12月には陸軍元帥に昇格。大戦終結後、陸軍参謀総長になった。1948年に退役し、コロンビア大学総長に転じたが、1950年に北大西洋条約機構(NATO)軍の最高司令官に任命された。
そして、1952年の大統領選で共和党候補に指名され、民主党のA.E.スティーブンソンを大差で破って20年ぶりに共和党政権を実現させた。

心筋梗塞を克服、再選を果たす

アイゼンハワーは、アイクの愛称で親しまれ、2期8年、冷戦時代のアメリカを率い、大統領の任期を全うした。しかし実は、再選される前年の1955年9月21日に心筋梗塞の発作を起こしていた。
心臓病予防の父といわれるP.D.ホワイト博士の著書『大統領からくじらまで──心臓病予防の父・ホワイト博士の自叙伝』(発売・財団法人日本心臓財団、発行・丸ノ内出版)によると、その日、彼は日中、ゴルフに興じたが、昼食後急に胃の不快感に襲われた。夕食時も胃の不調を感じたため、ワインも飲まなかった。
午後10時頃には就寝したが、夜中1時半頃、急に胸に激しい痛みを感じて目がさめた。その様子がただならぬことに気づいた夫人が、ホワイトハウス付きの医師を呼んだ。

陸軍病院に運ばれ、懸命の治療が続けられる一方、心臓病の権威、P.D.ホワイト博士が招かれた。同博士の診断によって、心筋梗塞の診断が下された。
一命をとり止めたアイクは、ホワイト博士に再発予防についての指導を受け、それを忠実に守り、療養に努めて回復。翌1956年秋の選挙で見事に再選を果たした。

心臓病予防は、歩け歩け

ホワイト博士はアイクに、「モアウォーク レスイート、アンド、スリープモア(よく歩き、食事を少なめにして、よく眠れ)」と忠告した。ゴルフは止めなかったが、パットは禁じたという。
アイクはその後、1965年11月に、あまり重くなかったが、2度目の心臓発作を起こした。
その2年後の1967年に3度目の冠状血栓症の発作を起こしたが、それも軽微なものに過ぎなかった。このように発作をくり返したが、健康状態は比較的良かった。それも、よく生活に気をつけた賜物だったのだろう。

開発初期のワーファリンを服用

アイクはまた、ワーファリンが開発された初期にこれを投与された著名人として、歴史に名前が残っている。ワーファリンは、抗血栓薬として現在、人工弁置換術後、心房細動、心筋梗塞、脳血栓などに広く用いられている。
日本心臓財団のウエブサイトに、ホワイト博士に関する記事が寄稿されているが、下記の記述がある。

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ホワイト博士は狭心症や心筋梗塞など虚血性心疾患の治療にも積極的に取り組み、早くから経口抗凝固薬としてワーファリンを導入したことでも有名です。

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ところが、前出のホワイト博士の自叙伝には次のような記述がある。

大統領の治療に対して私が調べてみた結果、抗凝結剤であるコウマディンが週平均35ミリグラムずつ継続して投与されていた。スナイダー将軍が私に送って来たアイゼンハワー大統領に関する1961年6月30日付の記録によると、そのような継続的な抗凝血剤の投与は良い結果を挙げていたし、大統領は低動物性脂肪による食餌療法によって体重は175ポンド以下に維持されていた。

コウマディンはワーファリンのことである。翻訳文のせいか、なんとなく釈然としないが、ホワイト博士自身がアイクにワーファリンを投与したとは読めないのではないだろうか。

難病、クローン病が死のきっかけとなった

年齢に比べて活動的な生涯を送っていたが、1968年5月に冠状動脈血栓症で4度目の発作で倒れた後、逝去するまでは病苦をくり返した。前出の書に次のように書かれている。

廻腸炎の反復発作と腹膜癒着は、反復性腸閉塞症発作の基礎的原因になっていた。それは、彼が4回目の心臓発作以来、ウォルター・リード陸軍病院での彼の生涯の彼の生涯の最終の年をまったく苦痛なものに陥れた固執的な病気だった。心臓が病的であったにもかかわらず、腸閉塞症からくる甚だしい苦痛を除去するためには、またも手術をしなければならなかった。しかし、彼はその数日後、遂に逝去したのであった。死因は心筋梗塞だった。

現在では、アイクの病気はクローン病だったと考えられている。クローン病は潰瘍性大腸炎と同じ炎症性腸疾患に属する病気で、免疫機構が異常をきたし、自分の免疫細胞が腸の細胞を攻撃することで炎症を引き起こすことから、自己免疫疾患ともいわれる。
どちらも小腸や大腸などの消化管に炎症が起きることにより、びらんや潰瘍ができる原因不明の慢性の病気で、難病の特定疾患に指定されている。
主な症状としては、腹痛、下痢、血便、発熱、肛門付近の痛みや腫れ、体重減少などがあり、さまざまな合併症が発現することがある。ちなみに、日本の安倍晋三首相は潰瘍性大腸炎を抱えているが、そのことは国民に広く知られている。

ともかく、アイクは最初に心臓発作を起こしてから13年あまり、79歳まで生きた。
ホワイト博士は、心臓病根絶のための活動を展開し、心臓病を予防し、健康を保つための日常の心がけとして、「まず歩こう、タバコを吸うまい、太るまい」との言葉を残している。そのために心臓財団が設立され、わが国でもホワイト博士の呼びかけによって、1960年代に(財)日本心臓財団と(社)日本歩け歩け協会(現、日本ウォーキング協会)が設立された。
現在では、歩くことは心筋梗塞予防の常識になっている。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。