病気と歴史 - 痛風の激痛を精神力で克服しようとした、哲学者カント
虚弱児で、「苦しい、つらい、息ができない、だるい、死にたい」が口癖だった
近代哲学の祖、観念論哲学の祖といわれるイマヌエル・カント(1724~1804年)は、生まれつき虚弱で、胸は扁平、やせこけていて、脊柱側弯の気味があった。いつもゼイゼイと喘息のような苦しい息づかいをしていた。
「苦しい、つらい、息ができない、だるい、死にたい」
少年、カントの口癖だった。
「心が健康であることを喜びなさい」
その言葉を聞くたびに両親は悲しい思いになった。ところが、17歳のとき、転機になる出来事があった。年に2、3回、田舎を回ってくる巡回医師にこう言われたのだ。
「体は気の毒だが、心のほうには異常はない。辛い、苦しいといっても、よくなるものでもない。むしろそう言えば言うほど、両親は心配し、君も辛くなるだけだ。それよりも、心が健康であることを喜びなさい。これからは病気であることを忘れて、ひたすら興味のある学問に打ち込みなさい」
極度の節制と規律正しい生活
以後、彼は一切こういう言葉を発しなくなった。1746年、カントが22歳の時、父が逝去。カントは大学をやめたが、家庭教師をして生計を立て、勉学を続けた。
1755年、31歳でようやくケーニヒスベルク大学で学位を取得。その後は大学の講師として、活動できるようになった。
カントには、一定の考えがあって、簡素を好み、極度の節制と規律正しい生活を送った。夏も冬も正確に5時に起床し、コーヒーを飲み、著作活動にはげみ、講義をし、食事をし、散歩する。
これらの時間は決まっていた。散歩は午後3時半で、哲学の道と言われる道を散歩した。夕方6時に散歩から帰ると、食事をし、読書をし、夜10時には床に就いた。食事は、昼食はバターとチーズを豊富に使い、数時間かけてよく食べたが、朝と夕はワインと水だけで、ワインも適量を守った。
その賜物か、病気もせず、『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における、いわゆるコペルニクス的展開をもたらした。
痛風の痛みを精神力で克服できたのか
そして80歳まで生きたが、友人の哲学者で、カントに関する著作もあるヤマハンは、本来病弱だったカントが80歳という当時は長命の年まで生きられたのは、「彼は自然から生命を無理取りしたのだ」と述べていた。すなわち、長命は彼の極度な節制と規則正しい生活によるものだというのである。
しかし晩年は、痛風の発作に襲われていた。横田敏勝氏の『漱石の疼痛、カントの激痛』(講談社現代新書)によると、カントは、痛風の激痛をなんとかしようとして、痛みと無関係なある一つのことに精神力を集中したと言う。
こうすることで実際、翌朝には痛みがなくなっていた。彼は、精神力で痛みを克服する方法に関する論文を書いた。「痛みと関係のないことに意識を集中して痛みを忘れる発想と方法はストア派に近い」と横田氏は述べている。ストア派は、紀元前3世紀に現れた哲学の一派で、倫理学を重視して厳格な禁欲主義を説いた。
哲学で痛みは克服できたのか。カントの痛みは翌朝になると消失していたが、痛風発作の自然経過のなかでよくあることである。横田氏は「ここで治療を受けて次の発作を予防すれば、カントの寿命ももう少し延びていたのではないか」と述べているが、現代の薬のように尿酸値を下げる治療は存在しなかっただろう。
晩年は食生活が乱れもバターとチーズだけをむさぼり食うように
カントは70歳を過ぎてからは徐々に精神的肉体的に衰弱した。食事も不規則になり、最晩年は、バターとチーズだけをむやみにむさぼり食うようになっていた。
血液中の尿酸値が高い状態が高尿酸血症で、この状態が長く続くとやがて痛風の激痛発作を引き起こす。痛風は性疾患であり、生活習慣が、それも主に食事が影響する。
バターやチーズは尿酸値が増えやすい食品である。また、ワインなどのアルコールは、脱水しやすく、脱水すると尿酸が濃縮され、それが関節などにたまり、痛風の発作を引き起こしやすくなる。野菜の摂取が少なかったと思われますが、野菜不足は尿酸を増やす原因となる。野菜は尿酸のもとになるプリン体が少ないし、カリウムが多く、尿酸が増加するのを防ぐ働きがある。
カントは死の半年前、ヤマハンが訪れたときにはもう、彼が誰だかわからなくなっていた。
認知症が進んでいたが、それも70歳過ぎからの偏った内容の食事が影響したのだろうか。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。