病気と歴史 - 瞳を大きくするベラドンナの目薬。シーボルト事件の原因の1つにもなった
黒目が大きくなる、「美しき貴婦人」という名の妖しい生薬
パッチリ開いた大きな黒目(瞳)は、女性の大きな魅力。という美意識は現代の男女ともに共通し、そのため女性は黒目を大きく見せようと励む。化粧はもちろん、黒目整形をする人もいるらしい。
魅力的な瞳づくりに中世の欧州で貴婦人たちに用いられたものに、「ベラドンナ」という植物がある。
ベラドンナは西アジア、ヨーロッパに分布するナス科の多年草で、紫色の釣り鐘型をした花を夏のあいだに咲かせ、花が終わると暗紅色の実をつける。
この名はイタリア語で「美しき婦人」「美女」を表している。美しい婦人たちが、この植物の絞り汁を目に差し、瞳をパッチリ大きく見せたからであった。花を咲かせるころの葉を採取し、乾燥させたものをベラドンナ葉といい、古くから生薬として用いた。
ナス科の植物にはアトロピンやコポラミンなど毒性の強いアルカロイドを含むものが多い。欧州でその代表格がベラドンナで、日本の代表的なものにチョウセンアサガオやハシリドコロが挙げられる。いずれも、植物全体に毒がある。ちなみに、ベラドンナはセイヨウハシリドコロの名でも知られる。
アトロピンやコポラミンは、脳にある血液脳関門を通過して脳に入り、中枢神経を麻痺させ幻覚や錯乱状態を引き起こす。
神経毒があり、瞳孔が元にならなくなったり錯乱状態になったりした
神経毒がある「美しき婦人」という名の有毒植物──なにやら妖しい匂いがする。
アトロピンには副交感神経を抑制する働きがあり、鎮静、鎮痛、散瞳効果がある。副交感神経を抑制すれば相対的に、活動に作用する交感神経の働きが高まる。その結果、目はパッチリと開くというわけである。
それにしても、毒薬を点眼したとは、なんと大胆なことをしていたのだろうか。
ベラドンナの目薬を使用した美しき貴婦人のなかには、アトロピンの副作用で瞳孔が元に戻らなくなったり、錯乱状態になったりすることもあり、たいへんな危険を伴ったという。現代では、長期にわたってベラドンナを目薬として使用すると、緑内障になるおそれがあり、失明する場合もあるとの見方もあるらしい。
シーボルトが目薬として持ち込み、シーボルト事件の原因のひとつに
以上は、先に出版した『恐ろしすぎる治療法の世界史』で取り上げた。ベラドンナにからんで、日本である事件が起きたが、それについては紙数の都合で割愛せざるを得なかった。
実はベラドンナは、幕末にオランダ商館の医師として来日したドイツ人シーボルト(1796~1866年)が目薬として治療に用い、日本に持ち込まれ、シーボルト事件と呼ばれる歴史に残る事件を引き起こす原因の1つとなった。
シーボルトは本国に帰国するさい、日本地図を持ち出そうとして発覚した。それに伴い、自宅を捜索され、徳川家の葵の紋の入った紋服も発見された。
どちらも、シーボルトは日本人に交換して入手したが、紋服を渡したのは土生玄碩という眼科の開業医だった。
玄碩は長崎に逗留中のシーボルトを訪ね、教えを乞う。シーボルトは瞳を散大させる目薬をもっており、玄碩はその処方などの情報を教えてもらうために交換条件として自分が着ていた葵の紋の入った紋服を差し出した。
ベラドンナの情報と徳川家の紋服を交換した医師も処分される
シーベルトが玄碩に教えたのが、ハシリドコロであった。前述したが、日本のハシリドコロは欧州のベラドンナ同様、アトロピンやスコポラミンなどのアルカロイドを含み、瞳孔を散大させる作用がある。
このときすでに、シーボルトはベラドンナ同様の植物としてのハシリドコロを発見していたのだろう。
シーボルトに紋服を渡したことが発覚した玄碩は、国禁を犯したかどで蟄居の処分を受けることになった。
現代ではベラドンナの葉が生薬として用いられることはないようであるが、アトロピンは胃や腸の病気の薬として用いられ、内服のほかに注射液もある。また、散瞳薬にも使用されている。
ただし、散瞳薬は現在ではいろいろな成分のものが開発されている。アトロピンは作用が強すぎるため、散瞳薬の主流ではなくなっているようである。
なお、シーボルトの点眼薬については、長崎大学薬学部のウェブサイトに、「宮崎正夫の『「シーボルトの散瞳点眼薬』(薬学史雑誌)をもとに作製した処方」が紹介されている。阿片チンキを配合したもの、ジギタリスやトリカブトを配合したものなど、目的に応じて何種類かあったようである。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。