病気と歴史 - 87歳で『昆虫記』を完成させたファーブル。91歳で尿毒症に死す
生涯を通して昆虫を研究
不朽の名作『ファーブル昆虫記』の執筆者として歴史に名が残るジャン・アンリ・ファーブルは、1823年に南フランスの貧農の家に生まれ、幼少のころより昆虫に親しんだ。
苦学した末、師範学校を出た後に教師となった。貧困の中、独学で物理、数学、自然と科学の学士号と理学博士号を取得するが、大学教授の席は得られなかった。
この間、博物学に傾倒し、さらに1854年、レオン・デュフールのフシダカバチに関する研究を読み、生涯を通して昆虫の生活史と本能を研究することになった。
1871年には教職を退き、78年にセシリアンに移った。自宅には広大な裏庭があり、ここを中心として昆虫の研究に没頭した。赤貧洗うがごとしの貧しい生活の中、1879年、56歳のときに『昆虫記』第1巻を編み出した。
87歳で『昆虫記』を完成。91歳まで生きる
昆虫記10巻が完成したのは1980年、87歳のときだった。山田風太郎氏の『人間臨終図鑑Ⅲ』(徳間文庫)によると、
「それ以前に死んでいたら、ファーブルはついに貧しいまま、そしてふつうの意味では無名のまま終わったところであった」
この年、はじめて『ファーブルを励ます会』がつくられ、セリニアン村の喫茶店でパーティが開かれた。出席者たちが、労苦に満ちた彼の過去を慰めるスピーチをするのを聞いて、ファーブルは泣き始め、それを見た人たちもらい泣きをした。前著には続けて、次のように述べられている。
「ロマン・ロランや、ベルグソンや、メーテルリンクや、『シラノ・ド・ヴェルジュラック』を書いたエドモン・ロスタンが『昆虫記』のファンであることが改めて知られ、多くの人々は、はじめての野の大学者とその偉業を知った。彼の貧乏が誇張して伝えられ、フランスの隅々から為替が洪水のように殺到するようになった」
しかしファーブルは、85歳のころから体調を崩していた。次第に起きているのがつらく、横になったままのことが多くなっていった。尿毒症のためだった。1915年10月7日、尿が丸1日近く止まり、激しい発作をくり返した末、11日、91歳で亡くなった。
現代なら透析もあり、100歳まで生きられたかも
森本哲郎氏の『生き方の研究』(PHP文庫)は、偉人たちの生き方をテーマにした名著で、この中でファーブルも取り上げ、次のように評している。
ファーブルは幼いころに昆虫に興味を持ち、自然を師とし、学ぶことに目覚めたが、それはファーブルの素質に帰さなければならない。
そしてその初心を生涯貫き通した情熱と努力を称えている。
尿毒症は、腎臓の機能が低下し、老廃物が十分に濾過できなくなった状態で、現代の診断名では腎不全に相当する。その原因となる病気としては、現代では糖尿病、糸球体腎炎がもっとも多く、他に慢性腎盂腎炎、先天性腎尿路奇形、痛風、ネフローゼ、妊娠中毒症、各種腎炎、腎硬化症、悪性高血圧などがある。
ファーブルの場合、何が原因で尿毒症になったかは、調べてもわからなかったが、現代では人工透析が普及している。糖尿病の場合、食事、運動などによって、糖尿病性腎症は予防することができる。91歳まで長生きをしたファーブルであるが、今の時代に生きていたなら、100歳も夢ではなかったかもしれない。
ファーブルは教師時代、化学、天文学、地学、博物学、物理学、数学、国語など小学校の教科書や読書教材を書きまくり、しかもそれが抜群の売れ行きを示していた。文才もあったわけで、もっと長生きしていれば、面白い随筆をものにしていたかも……。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。