【よんどころない事情がありまして】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

【よんどころない事情がありまして】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

誘いを断る言葉の切り札とも言ってよいのが、「よんどころない事情」である。
「よんどころ」は「拠んどころ」と書く。「よんどころない」は、「そうするより仕方がない。やむを得ない」という意味である。多くの場合、「よんどころない事情があって」という使い方がされる。
「よんどころない事情」は、ありとあらゆる事情を包括している。別に「よんどころない事情」がなくても、この言葉を使うと「やむを得ない事情がある」ことになる。

この言葉を持ち出して断ると、多くの場合、言われた相手が「それはどういう事情なのですか」と聞いてくることはない。たずねてはいけないと抑制が働き、遠慮するからである。この言葉には、誘いを断る方便として絶対的な力があるのである。
ただし、現代のビジネスの関係ではこの言葉は使えないし、使ってはいけない。仕事の関係の相手に対して、断るのにこの言葉を用いると、ふざけた人物と思われるに違いない。あるいは、「それはどういう事情なんだ。具体的に言いたまえ」と怒鳴られるのが落ちだろう。

半村良の『邪心世界』に次のような一場面がある。宝くじで大金が当たった主人公岩井栄介が、それをきっかけに勤めていた会社に辞表を出したくだりである。

「退職願は受理されたのでしょう」
不審そうに栄介が言うと、課長は二度ほど煙草を吸って間合いをかせいでから、
「君にもよんどころない事情があってのことだろうと思ったから、一応受取ってあげたまでのことだ」
(中略。ところが、この辞表に部長が首を縦に振らなかった)
「どっちみち僕はやめる気なんですがねえ」
栄介は当惑していた。辞表を出せばおしまいだと思い込んでいただけに、部長が引きとめるらしいのが意外であった。
「一身上の都合とあったが、どんなことなんだい」

現代では、この言葉を使うのはプライベートな人間関係に限ったほうが無難と思われる。
「やむを得ない事情がありまして」と言うところを、あえて「よんどころない事情がありまして」と言うと、古めかしさゆえにおもおもしくもあり、断り力が増すのではないだろうか。
参加したくない同窓会、観たくもない絵画や写真の個展などの誘いや案内に対しては、決まり文句にして、「よんどころない事情がありまして(事情が出来しまして)、残念ながら欠席させていただきます」と返事をすればよいだろう。

また、人が断りの理由を言いよどんでいる場合は、先回りして「よんどころない事情があるのでしょう。わかりました」と言うと、他人の気持ちに配慮する人だと思われるかもしれない。
ただし、年配の人なら、会話でこの言葉を使っても似合うが、若い人には似つかわしくないだろうし、用いるのに抵抗があるだろう。ただし、
書き言葉には使える。
披露宴、パーティなどの案内を断る言葉として、出席に×、あるいは欠席に○を付け、
一言「よんどころない事情がありまして」と付け加えると、ぶっきらぼうでなくなる。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。