【世も末(よもすえ)】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

【世も末(よもすえ)】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

テレビで十代とおぼしき可愛い男の子が踊りながら歌っている。

♪君たち女の子 僕たち男の子
へいへいへい へいへいへい おいで遊ぼう
僕らの世界へ走っていこう

一緒に見ていた年上の男性が、誰に言うともなく、こうつぶやいたのだった。
「世も末だなあ」
その人は大学で日本拳法部に所属していた硬派だった。
昭和四七年の暮れだっただろうか。郷ひろみはこの年にこの曲『男の子女の子』で歌手デビューし、たちまちアイドルの座をつかんでいた。

この曲と郷ひろみの登場には、硬派な男はもちろん、年配の男性も、少なからず驚いたのだった。歌詞の内容も郷ひろみも軟弱すぎると……。今では「軟弱」は死語・廃語の類いではないかと思うが、昭和のこの時代はまだそういう気風が残っていた。
今この歌詞を読んでいて、これは男性の手によるものではないなと思って調べたら、案の定、女性の作詞だった。そうそう、女性作詞家として著名な岩崎時子さんの作品だったと思い出した。

「世も末」は、辞書によると、
〈仏教の末法思想による言葉〉この世も終わりであること。救いがたい世であること。
「こんな歌が流行るとは世も末だ」
と説明されているが、実際は昭和の時代までは気楽に使った言葉で、馴染みがない目新しいことが現れると、「世も末だ」と断じる。
だが、しかし、世相を斬るわけてでもない。心のどこかで、あきれ、げんなり、やれやれと嘆息している。
本気にそう思っているわけではなく、この言葉を口にすると安堵するのだろうか。周りに波風を立たせるおそれはないし、それどころか、なごやかになる場合もある。
軽い気持ちを使えばよいのだ。

「今度の総選挙、あれだけ批判されていたのに、自民党がまた過半数をとりましたよね」
「そうだよね。やれやれ、世も末だよ」

「俳優のB、あんなのが大河ドラマの主役をするなんて、どうなってるんですかねえ」「そうだよね。世も末だよ」

末尾が「だよ」では断定口調できつ過ぎると感じるなら、「世も末かもね」と言えばよいだろう。
この種のことを人が言ってきた場合、それに対して真面目に答える気がなかったり答えるのが面倒だったりするとき。「世も末なんじゃないの」と、投げやりに返すと、会話をそれでさえぎることができるので、身に付けておくと便利だ。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。