【内股膏薬(うちまたこうやく うちまたごうやく)】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉
武田泰淳の『鶴のドンキホーテ』(『士魂商才〈岩波現代文庫〉』収載)という小説に次のような会話がある。
「Nさんが偉いことは、こりゃ何て言ったって否定できない。しかし天草乙女が偉いということも、今度こっちへ来て、はじめてわかったよ」ぼくは例によって、ほどほどに、やんわりともちかけることにしました。
「ホラ、また、こいつは」と、酒井は僕の首すじをおさえた。「こいつはすぐ、どっちにでも通用すること、言うんだからな。航空隊時代からそうなんだ。内股膏薬という奴でね、どっちの股にでも、ひっつけるようになってやがるんだ」
ここに出てくる『内股膏薬(うちまたこうやく)』とは、何のことかわからないという人が現代では大半なのではないだろうか。内股は「足の付け根から膝までの太ももの内側」で、膏薬は「あぶら・ろうで薬を練り合わせた外用剤。皮膚に塗ったり、紙片または布片に塗ったものを患部にはりつけたりして用いる」。
「内股膏薬」は辞書には、
「(内股にはった膏薬が右側についたり左側についたりするところから)しっかりした意見や主張がなく、都合しだいで立場を変えること。また、そのような人。あてにできない人物をいう」とある。
先の文中では、主人公の僕はNさんを偉いと言い、また、天草乙女のことも偉いと言い、それを酒井は「内股膏薬」だと断じている。
膏薬は、その昔は自家製の自分でつくって貼ったものだが、市販薬もあった。湿布薬がスタンダードの現在、今も市販されている膏薬もあることはあるが、普通のドラッグストアで見かけることはない。
武田泰淳は明治四五年二月の生まれで、『鶴のドンキホーテ』は昭和三三年の作品である。このことから、明治生まれの人までは、この「内股膏薬」という言葉を使っていたと想像できる。
令和の現代日本では昭和の時代よりも言論の自由はなくなってきたことから、内股膏薬の人は増えていると思われる。テレビのコメンテーターの発言も内股膏薬ばかりで辟易する。
会社勤めもまた内股膏薬は生存に必須だろうが、それが身につくと、仕事以外の人間関係においても内股膏薬的なことしか言えなくなる。つねにバランスに配慮し、批判や非難を慎むが、友人同士の会話で言われると、友人としては面白くともなんともない。
そういう場合、誰に言うともなく、「内股膏薬だなあ」と、ひと言つぶやいたらよいだろう。相手が、
「えっ、ふたまたこうやく!? それ、どういうことだよ」と聞いてきたら、
「おまえ、太ももに湿布薬を貼っているだろう。うん、わかるんだよ。そうだろう」
とかなんとか、寝惚けたことを言って煙に巻くとよいのではないだろうか。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。