【明日は明日の風が吹く】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

【明日は明日の風が吹く】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

昭和の大スター、石原裕次郎さんの昭和三十三年(一九五八)公開映画に『明日は明日の風が吹く』があった。同名の主題歌はビッグヒットとはならなかったが、同時代を生きた人たちの中には裕次郎ファンでなくても覚えている人は少なくないだろう。
「明日は明日の風が吹く」はその以前からあった日本の慣用句で、『ことわざ大辞典』には次のように説明されている。
「明日のことを心配しても仕方がない、なるようになる。明日になればまたどんなことが起こらないとも限らないから、くよくよ心配しても始まらない」

語源は諸説あり、江戸時代に上演された歌舞伎の演目のひとつに、「明日は明日の風が吹けば~」という台詞がある。それが始まりなのかどうかはともかく、昭和初期の前後に講談や落語の中に取り入れられ、その言い回しが流行ったことがきっかけとなったと言われている。その後、「ことわざ」の一つとして確立し、現在のように使われるようになったという。

アメリカ映画『風とともに去りぬ』の主人公、スカーレット・オハラの最後のセリフとしても知られる。原作は一九三六年に出版された同名の小説で、ベストセラーとなり、一九三九年に映画化された。
最後の台詞は「Tomorrow is another」(明日は別の日)で、この本を初めて和訳した大久保康雄氏は、この台詞を「明日は明日の風が吹く」と訳したが、大胆な意訳であり、けだし名訳である。「明日は別の日」では、感慨がわいてこないのではないだろうか。

また、かつて日本でも一時流行した言葉に「ケセラセラ」がある。一九五六年、ヒッチコック監督の映画『知りすぎていた男』の主題歌「ケセラセラ」を主演女優で歌手でもあるドリス・デイが歌い、ビルボードのホット10で二位、全英シングルチャートで一位になるなど大ヒットした。映画主題歌として、アカデミー賞(歌曲賞)を受賞した。

日本でも歌詞が英訳され、雪村いづみ、ペギー葉山などの競作によってヒットした。「ケセラセラ、なるようになる」の歌詞とメロディは高齢の人には懐かしいはずだ。
「ケセラセラ」という言葉はスペイン語が語源とされているが、スペイン語にはこういう言い回しはなかったようである。

ペギー葉山が歌った和訳の歌詞をみると、楽観的とも悲観的ともとれる。
「ケセラセラ」は一時期流行っただけに、当時を覚えている身としては、現代に使うのはダサく感じられ、現代に用いるのは恥ずかしい。それに比べると、「明日は明日の風が吹く」は現代に使っても違和感はないと思うが、あくまで個人的受け止め方である。
なお、「ケセラセラ」は平成十一年(一九九九)公開のスタジオ・ジブリの映画『ホーホケキョ となりの山田くん』のエンディングで歌われた。この映画で知ったという世代も多いはずで、そういう人たちにはあまりレトロな感じはしないのかもしれない。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。