【水臭い】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉
「水臭い」は、「水臭い酒」のように、食べ物や飲み物の水分が多く、味気ないし、まずいことをいう。かつては、大衆的な居酒屋などでは、水で薄めた日本酒を出すところがあった。
水っぽい味で、飲んでも日本酒特有の陶然とした酔いが回ってこない。客の側も、「ここの酒はなかなか酔わないなあ。いくらでも飲めるよ」などと言って笑い飛ばしていたのだから、水っぽいのを承知の上で飲みに行っていたのだろう。
昭和四十年代初めの頃には、暖簾に「水っぽい酒」の言葉を染め抜いた店があったように記憶しているが、定かではない。インターネットで検索すると、今も水っぽい酒を出されたという投稿がある。
その「水臭い」が比喩的に人の感情に対しても用いられ、親しい間柄なのに妙に遠慮があってよそよそしいことを「水臭い」と言うようになった。
日本人は、親しき仲にも礼儀ありと、あからさまな態度や不躾な行為を嫌う。あるいは、
相手に迷惑をかけてはいけないと、遠慮する。しかし、そういう思いや行為も度が過ぎると、
他人行儀で水臭いこととなる。
法事に出席してもらうと迷惑がかかるからと知らせないでいたら、「水臭いじゃないですか」と、なじられることになりかねない。その心は、「私との関係はそんなに薄いのですか」と訴えているのである。軽んじられていると、ひがみ、怒りの感情の表れである場合もあるだろう。
といって、「水臭くない関係」だからと、相手の好意に甘えすぎると、それは遠慮のなさすぎということで、それはそれで顰蹙を買うことになりかねない。厚かましく遠慮がないことと、水臭いことのバランスが難しいのである。
ところで、この水臭いという言葉を上手に使うと、相手により親近感を持たせることができる。たとえば、
「昨日、ぼく、誕生日だったんだよ。一人で淋しい二十一回目の誕生日だったけどね」
と友達や知り合いが言ったら、
「えー、教えてくれればよかったのに……。水臭いなあ」と言うと、言われた側は、「そんな気持ちを持ってくれているんだ」と喜び、相手により親しみを感じるだろう。なかば社交辞令だろうと思っても、それはそれでうれしいものである。
ちなみに、関西など西日本の一部では、塩気が足りないことを言う場合があり、「このみそ汁、水臭い」などと言う。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。