【腹を割る(はらをわる)】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉
「腹を割る」は極めて日本的な言葉で、あえて意味を述べるまでもないだろうが、「本心を打ち明ける。隠さずに心の中をさらけ出す」こと。普通、「腹を割って話す」というかたちで用いられる。
池波正太郎さんの人気時代小説「仕掛け人藤枝梅安」シリーズの作品『闇の大橋』(『新装版 梅安蟻地獄 仕掛人・藤枝梅安(二)』講談社文庫収載)に次のような場面がある。
着替えをした半右衛門が座敷へ入って来ると、おくらは、入れかわりに出て行った。
「梅安先生。どうやら、先夜の件をお引きうけ下さるように見うけましたが……」
「さよう……ですが、その前に、元締と肚(腹)を割っておはなししたいことがありましてな」
「割りましょうよ、先生ならば……」
「そうしてもらわぬと、困る。そうでないと、元締めの仕掛けがやりにくいことになります」
「はい、はい」
「実は……」
梅安は金で人を殺す仕掛け人で、半右衛門は人殺しを請け負う元締め。普通、元締めは仕掛け人に仕掛ける相手がどこの誰かは教えるが、誰がどういう事情で依頼してきたかなどは明かさない。
しかし、今回の件については、依頼の背景や事情を知りたいということで、梅安は「肚(腹)
を割って話したい」と、(音羽屋)半右衛門に申し出たのであった。
それにしても、梅安の「肚を割っておはなししたいことがある」との申し出に、半右衛門が、
「割りましょうよ、先生ならば……」と呼応するのは、なんとも面白い。
日本人は古来、胸や腹に感情がある。「胸の内(胸中)」と同じように、「腹の内」あるいは「腹中」という。だから、「腹を割って話す」は、腹の内を包み隠さず明らかにするということになる。
「腹を割る」のは男同士の場合に限られていて、女同士、あるいは男と女が「腹を割って話す」のは聞いたことがない。たとえば、別れ話にさいして、「腹を割って話そうじゃないか」と恋人や妻に対して言う男が昔からいただろうか。いたとは思えない。
昔の日本人の男は、男同士、「腹を割って話す」のを好んだ。日本の男は、男同士、腹を割って話せば心が通じ合い、わかり合えると思っている。西欧の男にもこういう発想や心情があるのかどうか。あるとは思えないが、不勉強のためにわからない。
日本的な心情の言葉だが、しかし、今では日本でも廃れてきて、わずか、昭和の任侠映画の世界にのみ残っていたのではないだろうか。
いつからか、日本の男は、腹を割って話すことをしなくなったと思う。現代日本の社会では、腹を割って話し、本音を吐露すると、とんでもないことになりかねないからである。
しかし、この言葉は現代でも使える。
上司が部下の本音を聞きたいとき、
「きみは、ほんとうはどう思っているのか、教えてほしい」
あるいは、もっと突っ込んで、
「本心を明かしてほしい」とか、「本音で語り合おうじゃないか」などと言う場合があるだろうが、それよりも、「腹を割って話そうじゃないか」と言ったほうが格好いいが、はたして今の若い人に通じるかどうか。
「腹を割って? どういうことですか。腹をどうやって割るというのですか」などと聞き返されるかもしれないが、めげないでほしいもの。
それはともかく、「腹を割って話そうじゃないか」と言っておいて、実は「腹を割っていない」ということがある。いや、そのほうが多いだろう。互いにそう思っていて、それは八百長とみいえるが、それでいいのである。なんだか自分が昔風の男に思えてきたら、それはそれで楽しめばよいだろう。
付け加えると、「腹を割って話す」は、立場が上の者、あるいは立場が対等の者が言えることであって、立場が下の者が言うのはふさわしくない。部下が課長に向かって、「課長、腹を割って話しましょうよ」などと言うと、課長は烈火のごとく怒り出すに違いないだろう。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。