【馬鹿も休み休み言いなさい】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉
最近はこの言葉の意味がわかっていない人がいるようである。
上司に「馬鹿も休み休み言いなさい」と言われた若い部下は、「馬鹿なことを休み休み言うように」指示、命令されたと思ったというのである。
この場合の「言え」は反語で、「言うな」という意味。馬鹿なくだらないこと、相手にとって不快なことを言ったとき、「馬鹿なことを言うな」と一蹴される。
「馬鹿を言う」という言葉もあるが、これも「馬鹿を言うな」の意味である。辞書には、「『そんな馬鹿らしいことを言うのは、いいかげんにやめろ』と、常軌を逸しているようなことを言うのをたしなめる言葉である」と説明されている。
言う本人は楽しいかもしれないし、他人を楽しませようとして言うこともあるだろうが、
延々と馬鹿話をされては聞き苦しい。
それをたしなめる言葉として「馬鹿も休み休み言え」となったわけである。
「常軌を逸している」レベルかどうかはわからないが、かつては、ただただ馬鹿馬鹿しい与太話をくり広げる相手に、「馬鹿も休み休み言え」といって、たしなめるとともに、いなし、すかした。
この言葉にはユーモアも含まれ、空気をなごませる効用もあるが、馬鹿と言われることに免疫が無く、馴染みのない人には、きつい言葉だと受け取られるおそれが現代では十分にある。
「言え」ではなく、「言いなさい」のほうが言い方がやわらかいので、こちらを使ったほうがよいだろう。にっこり微笑みながら、やさしく、柔らかい口調で言うとなおよいと思う。あるいは、「馬鹿も休み休み言ったほうがいいんじゃないですかねえ」と、疑問形で投げかける具合。
それに対して、冒頭で述べたように、「休み休みなら、馬鹿を言ってもいいのですか」と返す馬鹿が実際にいるかもしれないが、「そうそう、休みながらなら、いいんじゃないかな」と、つき合ってあげるのも、親しさを表す八百長やりとりとしてよいだろう。
また、辞書には載っていないが、人の意見をくだらない、あるいは間違っていると強く否定する場合にも、この言葉は使われる。
文例として、坂口安吾の『教祖の文学─小林秀雄論』に次のようにある。
平家物語なんてものが第一級の文学だなんて、バカも休み休み言いたまえ。あんなものに心の動かぬ我々が罰が当っているのだとは阿呆らしい。
この意味でも会話で使えるが、怒りを含んでいる場合はおろか、大真面目な顔をして言うと、現代の感覚ではきつ過ぎるだろう。用いるなら、優しく微笑みながらで、皮肉っぽい笑みを浮かべて言うとよいかもしれない。
なお、この言葉の類語に、「冗談は休み休み言え」がある。現代では、「馬鹿も休み休み言え」よりも使いやすいと思われる。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。