【馬齢(ばれい)を重ねる】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉
馬齢は、文字どおり馬の年齢であり、犬馬の齢もいうが、自分の年齢を謙遜していう語でもあり、こちらの意味でよく用いられてきた。
「年齢のわりにはこれといって成果をあげることができなかったとして、自分の年齢をへりくだっていう語」である。多くは「馬齢を重ねる」という言い方がされるが、「馬齢を加える」とい言い方もある。「いたずらに馬齢を重ねる」ということが多い。
「さすが経験豊富な人は違いますね」とほめられたとき、「いや、ただ年をとっているだけですよ」「いや、年をくらっているだけですよ」と言うのではなく、「いいえ、ただ馬齢を重ねただけですよ」とか、「いえいえ、いたずらに馬齢を重ねただけですよ」などと言ったほうが、謙虚であるし、味わいも重みもあるというもの。書き言葉として手紙に用いると、しみじみとした情感が伝わってくる。
「自分の年齢をへりくだっていう語」であるから、人に対しては使えないが、もし使った場合はどうなるのか。
「ひがしさんは、馬齢を重ねても元気ですねえ」などと言ったら、褒めているつもりでも、褒めていることにはならない。
また、身内に使っても、よくないと思われる。たとえば、
「おたくのおじいちゃん、元気ねえ。たいしたものねえ。このあいだも、オートバイに乗っているのを見たわよ。九十は過ぎてるでしょ」と聞かれ、
「今年九十三です。たいしたものじゃないですよ。ただ馬齢を重ねただけです」と答える。身内のことだから、へりくだって言うのだろう。そして、そのとおりであったとしても、おじいさんを馬鹿にしていることになるし、おじいさんに気の毒というもの。
相手も、
「馬齢でも、たいしたものよ」と答えたとしたら、
これでは、おじいさんに対して、ただただ失礼な会話である。
しかし、へりくだって自分の年齢を(高齢)を「馬齢」と呼ぶなど、欧米人にはそういう発想しないし、理解しづらいだろう。
この語の類語に「犬馬の年」があり、日本語大辞典には「犬や馬のようにむだに年をとる意。犬馬の齢(よわい)」とあるが、今の人の動物に対する感情からすると、「馬齢」もそうだが、犬や馬に失礼な話だと思うむきもあるかもしれない。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。