東 雑記帳 - 「自分で取る!」「手抜きをしない!」で命令形!?
デパートでのこと、「○○ちゃん、入れな~い」という女性の声が聞こえてきた。見ると、ベビーカーの一歳少しぐらいだろうか、男の子が口に手を入れている。お母さんは、「○○ちゃん、口の中に手を入れてはいけませんよ」という意味のことを言ったのだと、すぐにわかった。きつい言い方でも、やさしい言い方でもなく、感情もこもっていない感じだった。
それにしても、ただ「入れな~い」とは、なんという省略形だろう。
別のとき、コンビニのレギュラーコーヒーのマシーンの前に、父親、母親と、五歳ぐらいの女の子の三人が、コーヒーが入るのを待っていた。
すると、「自分で取る」という声が聞こえてきた。母親が言ったらしく、「自分の分は自分で取りなさい」ということだと、これまたすぐにわかった。きつい言い方ではないが、といって、やさしい感じでもなかった。女の子は何も返答せず、背伸びをしてカフェラテが入ったカップを自分で取った。
そして、ごく最近、東京新聞の連載四コマ漫画、青沼貴子さんの「ねえ、ぴよちゃん」に、やはりこういう言い方が出ていた。主人公のぴよちゃんは、小学四年生。
お母さんに、「(ぴよちゃんに)割り算、かけ算を教えてあげて」と言われた中学二年の兄。どのように教えたか。
2コマ目。ぴよちゃんの目の前に生卵と茶碗。「じゃまず、卵をわって」「こおー?」(びよちゃん、卵を割って茶碗に落とす)「そう、それが割り算」
3コマ目。「卵を混ぜて」「ごはんに混ぜて」(ぴよちゃん、その通りに、卵を混ぜてごはんにかける)「それがかけ算」
4コマ目「おしまい」と言ってた兄は、ぴよちゃんから卵ごはんの茶碗を取って、「いただきま~す」。
それを見ていたお母さんが、「めんどくさがらない!」
どれもこれも、自動詞を命令形として使っている。
こういう言い方のルーツは、いつ頃、何にあったのだろうか。強く記憶に残っているのは、直木賞作家、橘 外男(明治二十七年~昭和三十四年)の『ある小説家の思い出』(中公文庫)の一場面である。旧制中学を一年落第して現在二年生の著者が、受け持ち教師に目の敵にされる。秋、江の島、鎌倉の修学旅行を終わった直後、次のようなやりとりが展開される。
「橘ア!」
と、こいつ(受け持ち教師のこと)が教室で、突拍子もない声を出した。
「放課後、教員室まで来る!」
来い! という処をこいつは、いつも、来る! と妙な言葉遣いをする奴である。
こういう言い方が江戸時代にあったとは思えない。やはり明治になってからだろうか、出所は軍隊なのか学校なのか、知識不足のためにわからない。
このように自動詞を命令形に用いる言い方は、子供の頃から大人になってからも、ほとんど耳にすることはなかった。親はもちろん、周りの大人も学校の先生も、こういう言い方はしなかったが、高校のときの体育の教師が、体育の授業のとき、「さっさと走る!」と言っていたような気がするか、記憶はおぼろで定かではない。
大人になってからは、取材で一週間ほど世話になった地方在住の女性から、「東京に帰ったら、さっさと原稿を書く!」と言われた。昭和の初めの生まれで、やり手の女性経営者で、
さほど不快には感じなかったが、妙に頭の片隅に残っている。
父権的だから、橘 外男の先生もこういう言い方をしたのだろう。
ひるがえって、今のお母さんたちの場合、こういう言い方が父権的との認識はないのだろうか、ないのだろう。ただただ、社会のスピード化に伴う短縮表現として使っているだけのことだろうか。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。