東 雑記帳 - がたい・がかい
「がたい」という言葉が、ずいぶん前、30年ぐらい前から気になっていた。
この言葉に似ている言葉に、「がかい」がある。古くからあるが、一般の人のあいだで使われることはほとんどなかった。
「がたい」などという言葉はもともと無かった。それがあるときから社会の表に現れ、いっきに広まることになったが、きっかけは格闘技K‐1だったと思う。
昭和63年(1988)に始まった格闘技イベント・K‐1の司会のひとりとして務めていたのがタレントの藤原紀子さんが、「○○選手は“がたい“がすごいですからねえ」「“がたい”がいいですから」などと、「がたい」という言葉をしきりに使っていた。聞いていて、恥ずかしい思いがした。
「がかい」は明治以前からある古い言葉で、昭和54年(1979)に発売された小学館の『日本国語大辞典』(縮刷版)に「がかい」の見出しが立っており、「体格」のことと説明されていた。漢字表記は存在しない。この言葉は、昔から大相撲の雑誌で見かけることがあった。昭和の終わり頃、大相撲の雑誌の編集長は「がかい」を使っていたが、プロレス関係者には「がたい」と呼んでいる人がいた。
その数年後だったか、神保町の三省堂書店の辞書コーナーで方言辞典を手にとり、なにげなく頁をめくっていたら、「がたい」の見出しがあり、「体格の語の方言」と説明されてており、用例にエッセイストの泉 麻人さんの文が挙げられていた。
また、桐野夏生さんの小説に「がたい」という言葉が出てきて、「桐野さんまでもか……」と驚いたのを覚えている。
かくして「がたい」は一般の人のあいだに衆知、認知されたからだろうが、平成18年(2006)刊行の小学館『精選 日本国語辞典』には見出しが立っていて、「(『がたい』と『図体』が混同してできた語か)外見の大きさ。図体。がかい」とある。そして、小林信彦氏の『唐獅子・惑星戦争』で「図体」と書いて「がたい」と読ませる用例が挙げられている。
今では、テレビのバラエティなどで、「がたい」は日常的に使われているし、書き言葉で使っているのを目にすることも時々ある。「ガ体」と表記しているのを見たことがあるが、語感がしっくりこない。
それはともかく、本家本元の「がかい」は、「体格」とは異なる雰囲気、匂いをまとっている言葉だと、個人的には思っている。体格にすごみを感じる場合、「がかい」を用いるのではないだろうか。隠語、業界用語的な雰囲気もある。
「がたい」も同じように感じるから、好んで使う人がいるのだろう。
本家の「がかい」はというと、大相撲中継で解説者が時に使っているのを耳にすることがある。消滅させないで、使い続けてほしいもの。
とは言うものの、耳に慣れてきたのだろう、以前ほどには「がたい」は気にならなくなった。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。