東 雑記帳 - ウクライナ系横綱大鵬の白い大きなお尻
ロシアのウクライナ侵攻以来、ウクライナに関して、この侵攻以外にもウクライナについての情報が増えてきた。四月十一日の日刊スポーツは、昭和の大横綱大鵬の父がウクライナ人だったという記事を載せていた。大鵬が力士として登場した頃には、父親は白系ロシアと言われていたが、その後、実はウクライナ人だったという情報が表に出ていた。
大相撲は昭和三十五年十一場所後、柏戸、大鵬が同時に大関に昇進した。このとき、柏戸二十二歳、大鵬二十歳。非常に年若くしての出世だった。二人は、その前に一時代を築いた栃錦、若乃花よりも、若くして昇進。二人とも栃若より背が高く、顔、雰囲気も新時代にふさわしく、相撲ファンだけでなく、国民の多くが二人の登場を喜び、歓迎した。
特に親が白系ロシアといわれた大鵬は、白人のような瞳の色をした白皙の美男で、女性の人気はすさまじかった。
昭和三十六年九月場所後、二人は横綱に昇進。名実ともに柏鵬時代が始まったと思われたが、実際は大鵬時代が続くことになる。柏戸は大鵬に力量は劣っていなかったが、大鵬の相撲は負けない相撲で、星勘定では毎場所、大鵬が勝った。
大鵬は優勝回数を重ね、大相撲に君臨し続けた。当時、柏戸の他、佐田の山、栃ノ海、豊山、北葉山などの横綱がいたが、大鵬が太陽で、その他の横綱、大関は太陽を取り巻く惑星というところだっただろか。大鵬と名勝負を繰り広げたが、主役は大鵬だった。
ただし、柏鵬戦に限っては、毎回熱戦の好勝負を展開し、対戦成績は途中までは柏戸がリードしていた。柏戸は「大鵬なんて、たいしたことない」と豪語していた。
大鵬は優勝を重ねるにつれ、体もどんどん大きくなっていった。そして、お尻もどんどん大きくなっていった。
その尻は、出っ尻だった。白い、大きい、出っ尻。
土俵上の仕切りで見合った後、塩を取りに戻るが、前屈みになり膝を折らないで塩を取る。その姿をテレビカメラが写す。今は、こういう写し方はしないが、当時はそれが普通だった。下からかと思えるようなアングルだった。絆創膏を貼った、吹き出物ができている、汚いお尻の力士もいたが、そういうお尻も容赦なくもアップになる。見たくないのに、映る。
大鵬のお尻も映る。大鵬の白い巨大な出っ尻が、テレビ画面にアップで映る。
それを見て、若い女性が恥ずかしがるのだった。女性のお尻のようだと。
大鵬のお尻は、見ていて恥ずかしい。見るほうが恥ずかしい。それは全国の女性ファンに共通の感覚のようだった。
男はどうだったのか。おじさんはどうだったのか、聞いたことがなかったのでわからなかったが、十代の自分は恥ずかしかった。今でも、あの白い大きいお尻が目に浮かぶが、思い出すたびに恥ずかしい。
どういう形のお尻といえばよいのだろうか。女性のお尻については、○○型とか△△型と分類し命名している物好きもいるが、そこまで追求しようとは思わないので、これ以上詳しくは説明できない、何卒不悪。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。