東 雑記帳 - シャンプーの泡立つウンコ
小学校の二年か三年の頃だった。冬だったように思う。
朝、登校の前、母親に薬を飲まされた。薬は、季節柄、風邪薬だったのだろうか。
粉薬で、白い紙に包まれていた。薬包だろう。
母親が水を用意し、ぼくに飲ませようとしたが、少し口に入ったところで、味が変だとわかった。粉薬はたいてい少し甘みがあるものだが、甘みはまったくないし、明らかに違う。
「この味、へんだよ」と訴えたが、母親は聞く耳持たず、「早く飲まないと、学校に遅れるよ」。無理矢理に飲まされてしまった。
ところがそのあとすぐ、姉が「あっ、ここにあったシャンプー、しげよしに飲ませたん?」
と言い出して、母もようやく気づいたようだった。飲んだのは薬ではなく、シャンプーだった。
シャンプーは、今の薬局の薬を入れるような袋にいれたものだったのではないだろうか。薬局で買ったのか、銭湯で買ったものか。
それを姉は、一回使用分を薬包のように折りたたんで包んでいたのではなかったのだろうか。これでは薬包と間違えても無理はない。
母親は、「あぁーっ、どうしよう!?」と慌てたが、その声をかき消すように姉が「しげよしが、しぬるうー」と泣きわめきだし、地団駄を踏むと、それに吊られるように自分も「しぬるうー、しぬるうー」と泣き叫んだ。ちなみに、当時、自分が育った地域では、「死ぬ」ではなく、「死ぬる」が普通だった。
その日は学校を休み、お医者へ行き、下剤を処方されたのだろうが、まったく覚えていない。
記憶にあるのは、半日下痢をし続けたことである。白っぽい泡がぶくぶく立ったウンコが何度も出続けた。
追記。2022.3.11
「死ぬる」について。「死ぬ」ではなく、「死ぬる」が普通だと思っていたが、そうではなく、「死ぬ」が一般的だと知ったのは大人になってからだった。「死ぬる」は古語だと思っていたが、気になっていろいろと調べてみた。すると、『精選版 日本国語大辞典』(小学館)に次のような説明があった。
──一方では近代に至るまでナ行変格活用もみられ、「死ぬる心でござります」(人情・仮名文章娘節用‐前)、「セガンチニの死ぬるところが書いてある」(青年〔森鴎外〕)などの例がある。
この「ナ行変格活用」が現代に残っていた、とわかった。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。