東 雑記帳 - ナンバ歩き

東 雑記帳 - ナンバ歩き

小学校の三、四年の頃のこと。運動会の前だったと思うが、教室で一人一人が行進の練習をさせられたことがあった。担任のやさしくない、中年近い女性教師が、歩き方をチェックする。

自分の番がきた。すぐに緊張するタイプのぼくは、右手右足で歩いてしまい、それを見た先生はそれを猛々しい大声で指摘し、叱責した。
叱られて、ますますあがってしまい、はじめからまた歩き直したが、今度も右手右足歩きになってしまった。三度目には、ようやく普通に歩け、ようやくOKが出たと記憶している。

二〇世紀も終わりの頃になって、ナンバがマスコミで話題になった。右手と右足、左手と左足をそれぞれ同時に出す歩き方はナンバといわれることを知った。
江戸時代までは、日本人の多くはナンバといわれる歩き方だったという。
それが明治新時代になって西洋文化が流入し劇的に変わることになった。今の右手左足、左手と右手をそれぞれ同時に出す歩き方になった。
民族の長い習慣が一朝一夕に変わるものだろうかと思うが、軍隊と学校で徹底的に実践した結果、全国民が変わったらしい。

ナンバは、現在ではナンバと表記されることが多いが、漢字表記は存在しないようである。
その理由は、日本人は全員がナンバ歩きをしており、それが当たり前のことだったから、これについて論ずることもないし、文に書くこともなかったからだという。

以上のように理解していたが、大辞泉のデジタル版には「難波歩き」の見出しが立っていて、難波は当て字とある。難波歩きを使った書き物が残っているのだろうか。「難場」がルーツという説もあるようだ。
ちなみに、戦前の紙の辞書にも「ナンバ」収載されていないようであるが、まったくないのかどうか。

それはともかく、子供が緊張すると、右手右足が同時に出るのはめずらしくない。
高校野球の全国大会の開会式、あこがれの甲子園球場の土の上を晴れて出場できた各校の園児たちの入場行進。テレビ画面にアップになった歩行姿を見ていると、中に右手右足歩きになっている園児がいるではないか。
たまたま一度、一人のナンバ球児を見つけただけではない。
何度か見た記憶があるし、このことを話題にしたところ、自分も見た、気づいたという知り合いもいた。

そうか、日本人にはナンバの遺伝子があるのか。甲子園球児も、自分も、と妄想を抱いたのだった。

なお、ナンバではない現在の歩き方には特定の呼び名はないようで、「普通の歩き方」などと言っているが、「普通って、どういうの?」と突っ込まれたら、ナンバの説明から始めなければならないのだろうか。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。