東 雑記帳 - 初めての長崎ちゃんぽん

東 雑記帳 - 初めての長崎ちゃんぽん

小学校四年のとき、長崎ちゃんぽんを初めて食べた。下関の駅近くの、今に言う町中華の店
であった。夏休みの日曜日、父親に連れられて下関のいちばんにぎやかなところへ行ったおりだった。買い物ではなかったし、映画を見に行ったのでもなかったと思う。何をしに行ったのか。また、母はいなかったが、姉が一緒だったかどうかは覚えていない。
下関は北九州文化圏で、ラーメンは普通豚骨だしで、ちゃんぽんも九州の豚骨だしちゃんぽんだった。

その以前、長崎ちゃんぼんを食べたことはあったと思うが、一杯を姉と半分ずつ食べたのではなかったか。自分一人に一人前をとってもらったのは初めての体験だった。
豚骨だしの、太麺で、豚肉、キャベツ、かまぼこ、エビ、タコなどの具が載っており、出汁は濃厚で、それはおいしかった。
なんておいしいのだろうと、喜んで一人前を食べきった。今でもそのときの感激がよみがえってくる。

さて、次の日、朝の九時頃から、胃が重く、次第にむかむかしてきた。むかつきしばらく続き、だんだんとひどくなり、そして、酸っぱいものがこみ上げてきた。
我慢できなくなって、奥の部屋の前の小さな庭に上半身を出したところ、すぐに一気に嘔吐した。
吐瀉物は、ちゃんぽんの麺が大半で、もろもろの具材も混じっていた。
前日にちゃんぽんを食べたのは午後の三時頃だったと思う。そうすると、あれから二十一、二時間も、ちゃんぽんは胃の中にいたのか。可哀想に、胃はかくも長時間格闘したが敗れたのだろう。ほとんど消化できていなかった。

わが家は大食ではないし、料理は脂っこいものはほとんどなかった。同じ年頃の子供に比べて食は細いほうだっただろう。濃厚なスープに、麺の量も多い。長崎ちゃんぽんを一人前食べられるほど胃は鍛えられていなかったと思う。
初めての長崎ちゃんぽんは、感動とともにほろ苦い体験を伴ったが、といって、ちゃんぽんが嫌いになったわけはない。その後、成長するに伴い一人前を食べても胃はだいじょうぶになったが、それが何歳の頃だったかは忘れた。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。