東 雑記帳 - 平家蟹は十能とブリキのバケツで

東 雑記帳 - 平家蟹は十能とブリキのバケツで

五歳の頃、午後の日課はカニを獲ることだった。
瀬戸内海の島、カニが国道沿いの溝にいた。カニは山のほうにもいたし、どこにもかしこにもいたが、道路の溝にたくさんいたのか、獲りやすかったのだろう。
溝といっても、当時はまだコンクリートで固めていなかったが、砂地でさらさらしており、ドブのようなことはなく、きれいだった。そこに入ってカニを獲るのである。

カニは、平家蟹である。瀬戸内海は平氏の地であるから、当然平家蟹だと思っていたが、間違いないようである。瀬戸内海に多い平家蟹は、平家の亡霊が化したという伝説がある。甲羅が人面に似ているのがその証拠に違いない、だから食べないなどと、海外の学者が大まじめに論じたらしい。あの有名な科学者、カール・セーガンまでもが。
こちらは、そんなことを知るわけもなく、動く生き物が好きだから獲っただけだった。

夕方近く、母がぼくを探しに外に出て、近所の人に、
「うちのしげよし(ぼくの名前)を見かけんかったかねえ」と聞くと、
「道路の長村のほうの道ばたで見たよ」
一所懸命カニを獲っていたのである。

カニは、炭をつかむ十能を使って獲り、ブリキのバケツに入れる。
夕方、家の土間では、バケツ一杯のカニが動き回りガチャガチャ音を立てていた。
ところが翌朝、バケツは空になっている。ぼくが寝ている間に母が捨てたようだった。
夜、うるさくてたまらなかったのだろう。
こういうことが毎日続き、しかし母は「カニをとってきたらいけんよ」とはいわなかった。しようがない子供だと、あきらめていたのだろう。

どうして、カニなんかを、こりずに毎日獲り続けたのだろうか。今考えてもわからない。
一学年上の姉は今でも、「しげよしがカニをいっぱい獲ってきていた」と、問わず語りにいうことがある。他の子供たちも獲っていたのかどうか、獲っていた記憶はない。

カニ獲りについては、項を改めて、尾崎士郎の短編小説を取り上げたいと思う。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。