東 雑記帳 - 昭和29年の保育園、おやつはご飯のおこげだった
生まれた地域に町立の保育園ができたのが昭和29年で、翌年小学入学の自分も保育園に通うようになった。
同じ年の子に年下の子もいて、楽しいはずだったが、つらかった。内弁慶だったので、集団生活に耐えられなかった。先生方もやさしいし、いじめる子もいなかったけれど、他人の中にいるのが苦痛だった。
朝の10時におやつが出たが、ある日のおやつは、ごはんのおこげだった。大きな釜で薪を燃やして炊いたごはんだったのか、見事なおこげだった。
しかし、いくら戦後の食糧が貧しい時代が続いていた時とはいえ、家でおやつにごはんのおこげを食べたことはなかった。
そのおやつにショックを受けたのか、昼にならないうちに勝手に園を出て家に帰ったと思う。
うちに帰って、母と祖母に泣きながらそのことを言ったのだろう。文句を言ったというほうがあたっているのか。
それを聞いて、母と祖母が、顔を見合わせ「まぁー、おやつがおこげだっていうんだから」とあきれ、笑っていたのを覚えている。
保育園通いは昼前に早退が普通だったが、そのいちばんの原因は集団の中で昼の弁当を食べるのが苦痛だったからだった。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。