東 雑記帳 - 森鷗外の異った清潔好き(もりおうがいのかわったきれいずき)

東 雑記帳 - 森鷗外の異った清潔好き

明治・大正の小説家で陸軍軍医(軍医総監)でもあった森鷗外の娘、森 茉莉さんの随筆集『贅沢貧乏』(新潮文庫)に収載の『気○○マリア』の冒頭に、鷗外の清潔(きれい)ずきについての記述がある。

それは異(かわ)った清潔(きれい)ずきで、入浴をしなかった。(湯に入るのは、他人の垢を自分の体にくっつけに入るようなものだ)と言い、湯を入れたバケツと、空のバケツとを並べておいて全身を拭いた。どういう訳か、石鹸箱を使わなくて、競馬石鹸が、英吉利(イギリス)の騎手を描いたラベルのついた、真紅(あか)い繻子の(しゅす)の包み紙の上においてある。
包み紙には細い黄金(きん)の紐(ひも)がついていた。
(中略)
(おかあちゃんは羽左衛門がいいなんぞというが、花柳病の黴菌を体中につけていて、湯に入ってかみさんの分の黴菌をくっつけて上がってくる羽左衛門より俺の方がよほど清潔だ)
と言うのである。

鷗外の異った清潔ずきは他にもある。

飯を食った後の箸(はし)は茶碗の茶で濯(すす)いで、先を二つ截(ぎ)りの半紙で包んで、箸箱の中にコトリと入れる。小水の後は、箸と同様、体の先を半紙で包んで、その上から下帯をするのである。

下帯は、褌のことと思われる。
陸軍軍医総監の鷗外が、用足しの後にその先を半紙で包んでいるとは、家族以外の誰も知らなかったのではないか。切れなかった小水が下帯に付かないように、半紙でおおうとは、やきり清潔好きなのだろうし、器用にやるものだと感心させられる。

風呂は、家族が同じ湯に入るのだから、後から入る者には先に入った者の垢が付くのは当然だろう。先に入るおじいさんやお父さんが無頓着に湯を汚す家では、しまいに入る者はドロドロの汚い湯に入ることになるが、自分が子供の頃はまだそういうことはめずらしくなかった。
現代なら、鷗外もシャワーで心おきなく体を洗うことができたのだろうに。

箸のことは、自分も十代後半、一時期数か月、まかない付きの下宿暮らしをしたことがあるが、その下宿屋のだんなさんが、食べた後の箸はお茶で濯いでから箸箱に入れ、後ろにある簞笥の引き出しに仕舞っていた。東京の人はこんな仕来りを持っているのかと不思議に思ったが、おかみさんがどうしたかは覚えていない。

茉莉さんの随筆に戻すと、鷗外の清潔好きは妻にもうつった。もともと清潔(きれい)ずきだったのが、父親に同化してだんだん気○○いじみて来た。劇場の手洗いの扉を開ける時には用意の半紙を三四枚手に取って、ふつう人が触れない、極く上の方を持って開ける。

そして、鷗外の異った清潔ずきは、娘である茉莉さんにも遺伝したというのである。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。