東 雑記帳 - 角帽、学生服姿の押し売りがやってきた
まだ、押し売りが普通に見られた時代。昭和三十三年(一九五八)、小学三年のときのことである。
平日の午後、学校から帰ってすぐだった。
若い男が家の引き戸を開けて入ってきたと思うや、上がりがまちにスーツケースのような鞄を広げた。勝手に入ってきて、勝手に小間物屋を開いている。
学生服のうえ、角帽をかぶっているから、念が入っている。来た、来た、やって来た、わが家にもニセ学生の押し売りが!
大学生らしい初々しさはまったくうかがえず、うさん臭さがただよい、柄も悪そうで、子供の目にも明らかにニセ学生だとわかった。
当時、苦学生を騙った押し売りが出没しており、子供の自分も母が近所の主婦連中とそのことを話題にするのを聞き、知っていた。
押し売りは一方的にしゃべり、買わせようとしていた。品物はゴムひもだったか。売り物はどれも粗悪品で、しかも高い値で売りつけるという話だった。
母は静かに対応していた。上がりがまちの四畳半にいたぼくに、押し売りと母のやりとりは聞こえたはずだが、具体的にどういうやりとりをしていたか、まったく記憶にない。
その男はいったい、どれぐらいの時間、粘ったのだろうか。けっこう長くいた。三十分ぐらいはいたと思う。
結局、母は何も買わされなかった。いや、買わなかったというべきだろう。上手にあしらったようだった。
男が帰ったあと、母はそのことには触れず、おやつのビスケットを出してくれた。たったそれだけの話である。おしまい。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。