東 雑記帳 - 踊る宗教
小一の六歳のとき、母に連れられて渡船に乗って本州に渡り、大畠からバスに乗って、柳井方面へ。柳井の街中の狭い道をバスが通っていると、卵を買い取りに来る業者の男の人が通りを歩いているのが見えた。
「あれ、下条さんだ」と母。確かに下条さんだった。母は鶏を雛から育てていた。電球を入れて温かくした飼育箱で四六時中面倒を見て、ひよこは母にだけ懐いていた。
バスが柳井の狭い国道を進んでいき、舗装していない道路は土埃が舞っていた。
と、バスの前方に、踊りながら道路を進んでいく男女十数人の一団が見えてきた。目にするや母が、
「見てごらん、無念無想、無我の境地で踊っているというけど、バスを除けるから」という。
なるほど、バスが近づくと、一団は蜘蛛の子を散らすように道路の端によけ、隊列はばらけた。
バスが近づきかけたのが、すぐにわかるのは無念無想ではないからだといって、母はこっそり笑うのであった。
戦後一世を風靡した踊る宗教だった。
それにしても、無念無想、無我の境地などという難しい言葉がよく記憶に残ったと思うが、このときのことはその後、わが家で話題にしており、記憶が上書きされたためではないだろうか。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。