東 雑記帳 - 迷子・徘徊じいさんに間違われた
もう九年近くも前のこと。朝の十時頃、自宅の居間にいたら、行方不明者に関する市役所の放送が聞こえてきた。防災無線行政放送というやつだ。それらしき人を見つけたら連絡してほしいというのである。
家の者が窓を開け、「また、迷子のおじいさんかしら」。耳を澄まして聴き、「やっぱり、おじいさんのようよ。七十五歳とかいってるけど、よく聞き取れない。認知症なのかもしれないね」
「そうだね。認知症かどうかはわからないが、家に帰る道がわからくなって迷っているんじゃないかな。だけど、迷子になるのはほとんどがじいさんだけだな」
「そうよ、おじいさんは一人でうろうろしているのが多いけど、おばあさんは三、四人で連れ立っているからね」
それから十五分ぐらいして、マクドナルドで仕事をするため、大きな手提げのバッグにノートパソコンを入れて家を出た。大通りをぶらぶら十分ほど歩き、あと少しでマックというところまで来たとき、目の前をバイクが横切り、駐車場の敷地に入り、向きを変えた。
と、若い男が歩道を歩いているぼくの前に立ち、軽く両手を広げた。警察官であるとわかった。
「待った」の仕種を仕種をするやつにろくなのがいない。
「なんだ!?」と思ったが、その後の彼の対応は無礼ではなく、これこれしかじかと説明する。
「七十五歳の男性が家を出たまま三時間も帰ってこないので、家族から警察に捜索依頼が出ていまして……」というので、
「あぁ、その放送ならさっき家で聞きましたよ。道に迷ったんですかねえ」と答えたところ、
「ええ、そのおじいさんの格好にそっくりなものですから、すみませんが、名前を教えてください」
驚いた。ぼくがその迷子・徘徊老人ではないかというのである。
「何を言っているんですか。ぼくは違います」と拒否したが、相手は教えてくださいをくり返すだけ。仕方がないので、
「こすぎとよじろう、です」と答えた。まるで時代劇に出るような、でたらめな名前を自分でいっておいて、おかしかった。もう一度名前を教えてくれといわれたら、同じ名前はいえない。
家を出る前、テレビのCSは時代劇を放送していて、そんな感じの名前が頭の片隅に残っていた。
漢字はどう書くかとか、自宅の電話番号は何番だとか、聞かれると嫌だなと思ったが、そういう質問はせず、警察官は「ご協力、ありがとうございました」と、オートバイのほうへ戻っていった。
名前を確認すれば、それで仕事は終わりなのか。なんだか、つまらない終わり方だった。
それにつけても、迷子あるいは徘徊老人に間違えられるとは!
その時に着ていたのは、洗いを何回もかけたという綿のカジュアルな青みがかった紺のジャケットで、イタリア・クラシコものを広めた有名なセレクトショップで購入したお気に入りの一品だった。とことん着倒し、色はされ、襟、袖、ポケット、裾周りなどに施されているステッチはあちこち糸がほどけ、取れていた。肩の部分は太陽の光に当たり続けたせいか、とくに色がされ白くなっていた。
そして、持っているナイロンバッグも、大きいだけが取り柄だった。
いつもわざと着古した服を着て歩いていた。大きい病気をした後でもあり、姿勢悪く、しょぼしょぼと歩いていた。
これではやはり、ただ汚らしいだけ、迷子・徘徊老人に間違えられるのも無理はないかと、納得しないわけでもなかった。
その日を境に、服はとにかく新しくこぎれいなものを第一にと切り換えた。帽子もおっしゃれなものに替えたが、見た目若返ったかどうかはわからない。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。