東 雑記帳 - 靴みがきが通る人に声をかけていた時代
かつては、新橋や新宿駅や国鉄の大きな駅の駅前には靴磨きが並んでいて、通る人に声をかけたものである。
「はい」と叫び、手を上げる。
虚をつく方法である。
この手に慣れていない人は、足を止めないまでも、歩みが止まりかかる。それが敵の狙い目である。
おめでたい人、あるいは、ぼんやり歩いている人は、虚をつかれ、ついふらふら、靴磨きのおじさん、おばさんの前に立ち止まってしまい、磨いてもらう気など全然なかったのに、
ピカピカに磨いてもらう羽目になる。
二十代の頃、この時代はまだ、靴は自分で磨かず、かならず靴磨きに磨いてもらうという人もいた。また、普段は自分で磨いたり妻に磨いてもらったりしているが、たまに外で靴磨きに磨いてもらうのを習慣にしている人もいた。
そういう時代だった。
そういう習慣の社会においての、靴磨きに引っかかるという出来事は、ふつうのことであった。
自分も、何度か、磨いてもらう気もないのに、つい引っかかったことは何度かあった。
靴磨きの声かけには、もっとタチの悪いのもあって、それは靴のかかとの直しである。
靴磨きの前を通ると、指を指し、「そこ、かかとが減っている!」と指摘する。まぬけなことに、反射的に立ち止まり、振り向いてかかとの端を見ようとするものなら、相手の思うツボ。餌食にされてしまうのである。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。