病気と歴史 - 『変身』の作家カフカ、不条理な生活習慣によって病がもたらされた
いかにして書いて生きるかを実現、『変身』などの作品を世に送る
ある朝、目が覚めたら、巨大な虫に変身をしていた。カフカの代表作の1つ、『変身』である。
フランツ・カフカ(1883~1924年)は、斜陽のオーストリア帝国に支配されるチェコのプラハに、1883年7月3日、故郷のないユダヤ人として生まれた。大学卒業後、労働局災害保険局に勤めた。
その間、社会主義、無政府主義、チェコ独立運動、自然療養主義、東ユダヤ文化などへ傾斜したが、最大の関心は、いかにして書いて生きるかにあったという。のちに作家として、『変身』の他に、『田舎医者』『アメリカ』『審判』『城』などの人気作品を世に出した。
『変身』は、若い布地販売員、グレゴリーが、巨大な虫に変身し、次第に家族にうとまれて、最後は死に至り、残された家族には明るい未来が拓けている。幻想的でもあり、不条理でもある物語であるが、何を言おうとしているのか全然わからないという読者も少なくない。
34歳のときに喀血し、結核と診断される
カフカは、生涯を通して、存在の苦悩にとりつかれ、人間の普遍的な姿を形象化していったと評されている。彼の作品は、あるときは称賛され、あるときは酷評されたが、現在では、ジェームス・ジョイス、マルセル・プルーストと並び、20世紀の文学を代表する作家と見なされている。
31歳のときに『変身』を書いたが、その翌年頃から健康を害し始めた。そして34歳のとき、喀血し、結核と診断された。
カフカは、情熱的で繰り返し恋をした。晩年の彼と付き合ったのは、ユダヤ人の若い学生、ドーラ・デュマントという女性だった。
結核と診断された後は、この難病との闘いの連続であった。結核は今と違い、当時は確実に治癒する治療法がない死に病だった。
昼は保険局で働き、夜は執筆に励む二重生活が、病状の進行に拍車をかけた。また、大インフレが、貧しいカフカを打ちのめし、そのことも結核の悪化に一役買った。
不条理な生活習慣
彼の闘病について、『天才と病気』(ネストール・ルハン、日経BP社)には興味深い記述がある。
それによると、カフカは1910年には菜食主義者になり、肉や魚はいっさい食べなくなった。酒やコーヒー、茶を異常なまでに嫌い、特に酒瓶には病的な拒絶感を抱いていたといわれるという。
その上、プラハやウィーンの厳しい寒さの中でも、窓を開けて寝るという習慣を固守した。このような無鉄砲な暮らし方に加え、風邪を引いても積極的に治そうとしなかったという。
1917年には、両足を患い、喀血した。婚約とその破棄をくり返したフェリーツェと別れ、さらにミレナという女性と別れ、その痛手からうつ状態に陥った。しかし、サナトリウムで手厚い看護を受け、再び執筆できるまでに回復した。
けれど1924年の初め、再び悪化。結核菌は喉頭にまで達していた。同年6月、ウィーン近郊にあるサナトリウムで、最後の恋人、ドーラに看取られながら40歳の生涯の幕を閉じた
『変身』同様、不条理な生活習慣の果ての死だった。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。