病気と歴史 - ロートレック 絵と酒に生き、36歳でアルコール中毒死

病気と歴史 - ロートレック 絵と酒に生き、36歳でアルコール中毒死
脚の発育が止まったのを機に、18歳で画家の道に専念 

フランスの画家、ロートレック(アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック)は、1864年11月、南仏の伯爵家に生まれた。
家中で可愛がられて育った。幼いころから絵が好きだったが、父は彼を軍人にしたいと思っていた。しかし、16歳のとき、自宅の床で転び、左足の大腿骨を骨折。さらに療養中の翌年には溝に落ちて右足を骨折した。

そのため脚の発育が止まり、成長したときの身長は152センチしかなかった。胴体の発育は正常だが、脚は子供のままの状態で成長したのだった。ちなみに、脚の異常については現代では、遺伝性の骨形成不全症との見方もなされているようだ。
これを機に18歳のとき、パリで画家の道に専念することになった。このころすでにデッサンにすぐれた才能を見せていたという。

当時は現代絵画の始まりともいうべき印象派の隆盛期だった。1880年代の半ばころ、ロートレックはモンマルトルの夜の世界に出入りし始め、作風はそれまでの印象派風から本来の線描様式へと移っていった。
作品の題材は、ムーランルージュなど当時続々とオープンしつつあったキャバレー、カフェ、あるいは娼家であり、そこに生きる芸人や娼婦であった。彼が描こうとしたのは、そこに蠢く人間そのものの偽らざる姿であった。

娼婦と酒に耽溺。キャバレー、カフェ、娼家に蠢く人間の姿を描く

そのため、当時のスターを描いても、理想化したり迎合したりせず、醜さや欠点を誇張した。
キャバレーや娼家、酒場に入り浸っていたが、それには、身体障害者として差別を受けていたことが強く関係していたようだ。山田風太郎氏は『人間臨終図鑑Ⅰ』(徳間文庫)の中で、
「彼が画家となってからの病的な飲酒癖、娼家への耽溺は、あきらかにこのコンプレックスをまぎらわせるための悲劇的な反応であった」と書いている。
ロートレックはムーランルージュなどのポスターの名作も多くものにしており、ポスターを芸術の域まで高めたと評価されている。
彼のアルコールへの依存は進むばかりだった。酒は、度数が高いアブサンを好んだといわれる。また、1890年ごろには梅毒にもかかっていた。

アルコール中毒で入院中も酒を飲み、絵を描いた果てに死亡

そして34歳のとき、アルコール中毒による発作を起こし、母によって強制的に入院させられた。しかし、退院後も酒を飲みながら絵を描き続け、再度発作を起こして入院。1901年、母に看取られながら36歳の生涯を終えた。
先の『人間臨終図鑑』によると。ロートレックは生前、「自分の足がふつうだったら、決して画家などにならなかっただろう」といっていたという。また、彼には自分が後世に残る大画家だという自覚もなかったようだった。彼の絵がルーブル美術館に収められとき、死後13年がたっていた。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。