東 雑記帳 - 回虫が出たぞ!
検便があったのは、いつ頃までだっただろうか。
小学生の頃は、マッチ箱に便を入れて学校に持って行った。クラスの中には、マッチ箱に便を詰め込み過ぎ、
先生に「こんなにいっぱいいらないのに」と言われる男子もいた。
団塊の世代、一クラスが五十四、五人だったから、それだけの人数分の便で、教室の中はそざ臭かったに違いないと思うが、そんなことは気にならなかったのだろう。
自分のもののにおいは覚えている。それはやはり、それのにおいだった。マッチ箱に便を入れることに恥ずかしさもあった。
戦後の日本は、食糧難解決策として家庭菜園が奨励された。野菜栽培の肥料に屎尿を使ったため、体内に回虫を飼っている人が多く、そのため学校で検便が行われた。
便を検査して回虫の卵が見つかったら、虫下しを飲まされることになる。
中学一年のとき、何月頃かは忘れたが、朝トイレに行ったら、大きな回虫が出て、その大きさに息を飲んだのを覚えている。十五センチぐらいあったのではないだろうか。便といっしょに出たはずだが、そのときの便がどういう状態だったかはまったく記憶にない。回虫にのみ、目が行ったのだろう。
当時、自宅は鉄筋コンクリートのアパートで、和式の水洗便所であったから、回虫をはっきり確認できたのだった。自分の体の中にこんなものがいたとは、気味が悪い。早く消えてしまえとばかり、トイレのレバーを引くと、回虫は流水とともに排水溝に吸い込まれていった。
それにしても、野菜とともに体内に入った回虫の卵がこんなにも成長するとは………。
回虫が出たことは母に伝えただろうが、言ったかどうか、覚えていない。
その劇的な(?)体験をする前に虫下しを飲んだはずだが、飲んだら出たとつながりをもって記憶はしていない。ただし、虫下しの味は割合よく覚えている。それはチョコレートのひとかけらのような形をしていて、色もチョコレート色。味は少し苦く甘みはなかったように思うが、確かではない。
そんなにまずくはなかったように思う。その一度だけで、虫下しを飲むことは二度となかった。
ちなみに、虫下しを飲まされたため、その後はチョコレートを食べられなくなった女子がいたという話をのちになって聞いた。自分はそんなことはまったくなく、その後もミルクチョコレートは大好きだった。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。