東 雑記帳 - 力道山一人が人気を独占、おかしくない?

東 雑記帳 - 力道山一人が人気を独占、おかしくない?

昭和二十八年(一九五三)にテレビ放送が開始されたが、草創期のテレビが生んだ最大のスターがプロレスの力道山だった。
当時のスポーツ界だけでも、相撲は栃錦・若乃花、野球は長嶋、王、稲尾、中西と多士済々だったが、国民的人気という点では力道山が図抜け、屹立していた。その人気は、熱狂的で、それどころか異常というのがふさわしいレベルだった。
二十代、三十代の女性までが、とりつかれたように力道山のファイトに夢中になり、テレビ放映のあった翌日、口角泡を飛ばしながらその取り口を興奮しながら語る。子供の目にそれは異常に思えた。

主役は力道山で、悪玉外人選手も他の日本人選手も、すべて脇役である。善玉日本人と悪玉外人のタッグマッチは、力道山のパートナーが反則技を駆使する外人にやられるが、形勢不利になると力道山が登場して、空手チョップ一閃。たちまち敵方をなぎ倒してしまう。

その対立構造は先の大戦を連想させ、日本人は外人をなぎ倒す力道山を見て、胸がすく思いをしたのだった。
しかし、このように、一人だけの人気が突出する現象は、日本にはかつて見られなかったものである。
日本人は、両雄並び立つのを好む。その昔、源氏と平氏は雌雄を決したが、運動会では「赤(源氏)勝て、白(平氏)勝て」と、敵味方を分け隔てなく応援する。
戦前の大相撲では、不世出の横綱といわれた双葉山が六十九連勝という未だ破られない大記録を打ち立てた。この連勝記録は一人勝ちだが、もっとも幕内で勢力を誇っていた出羽の海部屋では、部屋を挙げて打倒双葉山に取り組んだ。七十連勝を阻んだ安藝ノ海は、出羽の海部屋のホープだった。
そして、双葉山は容姿ともに美しく、ことに女性に人気があった。随一の人気力士だったが、相撲人気を独占していたわけではなかった。

力道山一人に人気が集中するのは、おかしいのである。プロレスは戦後、GHQが日本人の娯楽のために普及させたいという。
「赤勝て、白勝て」の日本人の精神が、そのバランスを崩した。それが力道山一人が人気を独占するという異常な現象だったのだろうか。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。