東 雑記帳 - 買い損ねた香具師の鉛筆削り器

東 雑記帳 - 買い損ねた香具師の鉛筆削り器

 

【香具師(やし、こうぐし、てきや)】- 縁日や祭り、門前町または市が立つ場所など人出の多い所で、品物を売ったり、見世物などの芸を披露する業の人。

 

小学校の校門の前は脇道で、右に出て三、四分歩くとバス通りがある。四年のときだったと思う。放課後、一人で校門を出ると、すぐ出たところに、中年の男がトランクを広げていた。
香具師が物売りに来ているのだった。
ものは、鉛筆削り器。携帯できる小さなマッチ箱のような木の箱に、穴が開いていて、中には刃が装着してある。そこに鉛筆を差し込んで回すと、鉛筆が削れるという代物である。
その頃から文房具が好きで、物好きの自分が立ち止まると、香具師は鉛筆を削ってみせた。代金は二十円であった。

学校にはお金はいっさい持って行っていなかった。その鉛筆削り器が欲しくてたまらなくなって、とにかく家路を急いだ。
帰り着くと、母親がいたので、かくかくしかじか、鉛筆削りが欲しいので二十円をくれるよう頼んだ。
その日は二十日で、父の給料日だった。
母は、「今日が給料日だから、うちに現金は置いてないんよ」と言いつつも、タンスの上の小箱の引き出しをさぐり、小銭で二十円を差し出してくれた。母は計画的に家計をやりくりしているようだった。
その二十円を握りしめて走って校門へ戻ったのだが、そのとき香具師の姿はそこにはなかった。
その日、何をしていたのか、そもそも自分が下校した時間は遅かった。もうおおかたの生徒が下校したから、香具師は引き上げたのだろう。

落胆は大きかった。
買い損ねた鉛筆削り器は、残念な思い出としていつまでも記憶に残り、今も忘れられない。
小学六年で引っ越したが、その近くには文房具屋があり、一人で覗くこともよくあった。その文房具屋には、香具師が売っていたような鉛筆削り器は見かけなかった。
香具師のそれはいかがわしい商品で、自分はこの頃からそういう品々に興味があった。

その後は間もなく、手動の機械式鉛筆削り機が登場し、わが家でも買ったが、あまり魅力は感じなかった。
大人になってからは、香具師のものと同じ仕組みの小型鉛筆削り器をいつくか買ったし、ドイツのステッドラーのそれも買ったりしたが、どれも満足できなかった。脳裏には、香具師のあの鉛筆削り器があった。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。