【恥も外聞もない】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

【恥も外聞もない】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

普段から意識し、心しておきたい言葉である。
自分のことはわきへ置いてのことであるが、「恥も外聞もない」人が増えてきた。それとともに、この言葉を見聞きすることはめっきり減ってきた。社会の空気が、こういう言葉を使いづらくさせているのだろうか。
それにしても、テレビで政治家や芸能人が出ているのを見ることが多いせいかもしれないが、恥も外聞もない人だらけのように思える。

「恥も外聞もない」とは、「恥ずかしいという感情もなければ、世間の取り沙汰も気にしない。なりふりをかまわない」という意味。

芸能人は仕事を取るために、恥も外聞もなく、なりふりかまわない。
番組のMCをしている、仲間ともいえる芸人に対して、本番中、平気でゴマをする。
華やかな美人女優も清楚な美人歌手も、食レポの仕事がかかると、麺を豪快に口にする。群馬の一本うどんをくわえ込んでいるようだが、そういう食べ方はデイレクターの要望なのか、それとも自分で良いと思ってやっているのか。
政治家は、自分の思うとおりにしようとして、また、自分の失敗を隠し、言い抜けるために、恥も外聞もない。
嘘は平気でつくが、どれだけ嘘をついてきたかわからないと指摘されることもある人が、「私が嘘を言うと思いますか。嘘をつくはずがありませんよ」と、のたまう。
また、「添い寝してくれたら、いろいろ教えてあげる」みたいな言葉でメディアの女性を口説いた有力老政治家がいたが、事が発覚してもぬけぬけと表に出ている。

こういう人たちを目にしたとき、「まったく、恥も外聞もないねえ」と漏らせばよい。
一緒にいる人は、「そうだよねえ。いやだね」と相槌を打つかもしれないし、あるいは「この人たちも必死なのよ」と、一定の理解を示すかもしれない。
「必死なんだよ」とか「がんばっているんだから」と理解を示す返答に対しては、さてどう答えるか。
「そうだね。まあ、いいか」なら、会話のやりとりはここでおさまるだろう。
あまりにも一方的に強く、「恥も外聞もない」と主張すると、それはそれで聞き苦しいので、相手は不快に思い、「そういう自分(あなた)は恥も外聞もあるの?」と、矛先を向けてくるかもしれない。
このように反問されると、返答は難しい。「自分はあるよ」と答えると、どうなるのか。相手が「へー、あなたのどこが恥も外聞もないというの? そういうことをぬけぬけと言うことこそ、恥も外聞もないんじゃない」が切り込んできたら、お手上げか。

とどめは、「ああいう世界の人たちは、恥も外聞もあったら生きていけないよ」だろうか。
これが結論となるだろうが、しかし、この言葉はいつでも遊べるから、習慣にすると便利だろう。無責任に言い放てばよいのだが、「穏やかに」をモットーにしたい。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。