新刊ニュース ~ 【病魔という悪の物語 チフスのメアリー 金森 修 筑摩書房】長年健康系ライターとして活動してきた東/茂由が注目の新刊を紹介

新刊ニュース ~ 【病魔という悪の物語 チフスのメアリー 金森 修 筑摩書房】長年健康系ライターとして活動してきた東/茂由が注目の新刊を紹介

新刊ニュース

病魔という悪の物語 チフスのメアリー
金森 修
筑摩書房

100年以上前のアメリカで起きた、腸チフス騒動

今から100年以上前のアメリカで実際に起きた実話である。当時報道された新聞の記事や書籍等、さまざまな資料が残されている。作者は、パンデミックが懸念される現代に、この出来事を蘇らせ、検証している。2006年3月に出版され、新型コロナウイルスが流行し始めた今年2020年5月、緊急増刷された。

1907年、ニューヨークで住み込みの賄い婦(調理人)として働いていた37歳の女性、メアリー・マローンが公衆衛生当局によって身柄を拘束され、イースト川に浮かぶ小島の病院に隔離された。
その前年、ニューヨークに隣接するロングアイランド市の別荘で、6人の腸チフス患者が出た。別荘のオーナー夫妻は、原因を究明するために、衛生工学の専門家に調査を依頼。
この専門家が着眼したのが、夫妻が新しく雇っていた賄い婦、メアリー・マローンだった。
調べると、メアリーが賄い婦として働いた家庭で、1900年から1904年まで4度も腸チフスの患者が発生していたのだった。

無症状なのに調理を介して伝染

拘束されたメアリーを検査すると、腸チフスの菌が検出された。しかし、メアリーに症状があったことはない。彼女は、健康な感染者、つまり無症候性キャリアだった。無症状でも、他人に感染することはある。当局はそのように考え、メアリーに「料理を通じた殺人」の嫌疑をかけ、隔離したのだった。
メアリーは、「毒婦」「無垢の殺人者」「歩く腸チフス工場」などと呼ばれ、貶められるとともに怖れられた。
当時、健康保菌者という概念は、一般の人には理解されなかった。

腸チフスは、サルモネラ菌の1種の腸チフス菌が原因で発症する感染症である。高熱が出て、全身的なさまざまな症状を引き起こす。普通、食べ物や飲み物を介して感染する。
無症候性の保菌者は、ほとんどが胆嚢内保菌者で、胆石や慢性胆嚢炎に合併することが多く、永続保菌者になることが多い。メアリーも、胆嚢に腸チフス菌が棲みついていた。

腸チフスは現在では抗生物質のおかげで治ることが多くなったが、メアリーの時代は致死率も高く、怖れられていた。ちなみに、日本でも、昭和初期から第2次世界大戦直後までは年間約4万人が発生していたが、その後、衛生環境が整うにつれ減少してきた。

後半生の大半を島に隔離されて生活

イースト川の島に隔離されたメアリーは、1910年2月に解放されるが、1915年初頭に再び当局に逮捕され、1938年に亡くなるまで一生をノース・ブラザー島で隔離されて過ごした。そして、亡くなるときまで保菌者だった。

当時、腸チフスの無症候性キャリアが他にもいることがわかっていた。それなのになぜ、メアリーだけが拘束され、隔離されたのだろうか。

本書では、彼女が毒婦にはほど遠いことを明らかにしている。料理は上手で、賄い夫として評価は高く、雇い主からは信頼されていた。報酬も標準の2倍もらっていた。隔離されていた島では、最初に拘束されたさいに看護師の女性と親しくなり、2度目の隔離のときも再会し、長いつき合いを重ねた。

公衆衛生と恐怖心、不安

著者は書籍や資料を読み解き、メアリーが普通の女性であったという認識に行き着き、ことを確信し、そのことを強調している。当時、腸チフス保菌者は他にもいたが、なぜ彼女ひとりが、このような目に遭わされることになったのか。細かい理由はあるが、著者は公衆衛生と恐怖心があったと示唆している。

公衆衛生は、個ではなく、全体、つまり公共のためのものである。公衆衛生の観点から、メアリーは隔離された。それは行き過ぎだったが、一般の人たちの恐怖心と偏見がそれを支持したのだった。
今回の新型コロナウイルスに関しては、感染者が出た大型クルーズ船「ダイアモンドプリンセス号」の乗客、乗員たちは船内で隔離された。船内での感染者は増え続けたが、その背景には国内への侵入を阻止したわけで、これも公衆衛生に立った処置である。

公衆衛生は、恐怖や差別と結びつく。マスク警察といわれる人々の行為も、公衆衛生学の観点に立っているといえるが、恐怖心と偏見に駆られたものといえるだろう。しかし、それが高じると集団ヒステリーのような状況が生まれ、そこではスケープゴートが求められるのではないだろうか。
と考えると、チフスのメアリーは、現代に生きる私たちにとって、けっして他人事ではないだろう。

メアリーは普通の人間だった

著者は、「おわりに」の中の終わり近くで、次のように述べている。

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君は、この小さな本を読む過程で、「チフスのメアリー」という邪悪な象徴の陰に、元になった1人の女性の弱々しさや悲しさを、少しは感じ取ってくれただろうか。もし感じ取ってくれたなら、そんな君に、あと少しだけ私の願いをいっておきたい。
もし、あるとき、どこかで未来のメアリーが出現するようなことがあったとしても、その人も、必ず、私たちと同じ夢や感情をかかえた普通の人間なのだということを、心の片隅で忘れないでいてほしい。

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パンデミックになりかけたとき、あるいはパナデミックが起きたとき、私たちは第2、第3のメアリーをつくろうとしないか。それは1人ひとりの問題でもあるし、社会の問題でもあるだろう。

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病魔という悪の物語 チフスのメアリー
金森 修
筑摩書房
2006年3月10日 初版第1刷発行
2020年5月10日 初版第2 刷発行
760円(税別)

新書:144ページ
ISBN:978-4480687296

著者:金森 修
金森修(かなもり・おさむ) 1954年札幌市生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。パリ第一大学哲学博士。専門は科学思想史・科学史。筑波大学、東京水産大学(現、東京海洋大学)を経て、東京大学大学院教育学研究科教授。主な著書は『フランス科学認識論の系譜』『負の生命論』『自然主義の臨界』『遺伝子改造』(以上、勁草書房)、『バシュラール』(講談社)、『サイエンス・ウォーズ』(東京大学出版会)、『科学的思考の考古学』(人文書院)、『科学の危機』 (集英社新書)、『科学思想史の哲学』(岩波書店)、『人形論』(平凡社)。2016年逝去。

構成
はじめに
第1章 物語の発端
第2章 公衆衛生との関わりのなかで
第3章 裁判と解放
第4章 再発見と、その後
第5章 象徴化する「チフスのメアリー」
おわりに

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