病気と歴史 - 近代音楽の父、バッハは65歳のとき脳卒中で逝去し、『フーガの技法』は未完に
終生音楽に生きた、「三大B」の1人
「マタイ受難曲」「ロ短調ミサ曲」「ブランデンブルク協奏曲」などで知られるドイツの大作曲家、バッハ(ヨハン・セバスチャン・バッハ)は1685年に生まれた。大バッハとも呼ばれるが、その理由は、バッハ家は代々音楽を職業にした家系で、約2世紀半の間に約60人もの音楽家を輩出したからである。
バッハは作曲家として、またオルガン奏者として終生、音楽に生きた。バロック時代の後期に活躍し、バロック音楽を集大成した。「近代音楽の父」「音楽の父」とも称されるし、ベートーヴェン、ブラームスとともに「ドイツ三大B」と呼ばれる。
作曲技術の完璧さにおいても、西洋の音楽文化が生んだ最大の遺産として後世の作曲家たちに多大な影響を及ぼした。私生活では、最初の妻との間に7人の子供を、2度目の妻との間に13人もの子供をもうけた。
視力低下で手術をしたが失明
60歳近くになってから、バッハは視力が衰え始めた。そのため、1749年に、ジョン・テーラーという医師に2度手術を受けたが、失敗に終わった。術後はほとんど失明状態に近かったらしい。手術をした医師はペテン師だったという説もあるようだ。
何の病気で目が見えなくなったのだろうか。『眼に効く眼の話』(安達恵美子著、小学館)には、白内障ではないかと思うと書かれている。
手術を必要とする他の眼の病気に緑内障があるが、緑内障の手術が初めて行われたのは100年後だったから、緑内障ではなかったと思われる。
眼の手術の前後、バッハは半身不随となったらしいが、手術前にも脳卒中の発作を起こしたとも言われる。
同書によると、バッハは糖尿病性網膜症をくり返していたおそれもあると言う。バッハは、糖尿病も患っていた。糖尿病で血糖値が高い状態が長年続くと、合併症として眼底出血を起こすことがあるが、白内障もまた糖尿病の合併症として起こる。
65歳で脳出血のために逝去
バッハは1750年、脳卒中の発作を起こして亡くなった。
糖尿病で血糖値が長い状態が長年続くと、動脈が障害を受けて動脈硬化が進み、心筋梗塞や脳卒中などの循環器系の重大な病気の発症につながる。
脳卒中のうち、脳出血は主に高血圧が原因として発症する。バッハの失明についても、高血圧による眼底変化によって失明したのではないかと、先の本も言及している。すべては、糖尿病によってもたらされた病気なのだろうか。
家族の賛美歌で送られて旅立つ
65歳で没したことによって、『フーガの技法』は未完の作品となってしまった。
臨終の床で、バッハは妻や家族に「お別れに死の歌を歌っておくれ」と頼むと、それに応え、妻や家族が「聴け、すべての者は死すべきなりと声するを」という賛美歌を呼ぶ四部合唱で歌った。
皆が歌っているあいだ、バッハの顔はとても平和になってきて、彼は静かに旅立った。1750年7月28日、バッハ65歳だった。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。