【顔つなぎ】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

【顔つなぎ】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

池波正太郎さん原作の時代小説『藤枝梅安』のテレビドラマ。仕掛け請負の音羽屋半右衛門と、仕掛け人の梅安が対座している。仕掛けは人殺しで、これは江戸時代裏社会の物語である。
半右衛門が新たな仕掛けを依頼したが、梅安が断る。半右衛門が未練たっぷりに、
「いけませぬか」と、もう一度たずねるが、「はい、今度の仕掛けだけは……」
「そうですか。先生のお考えはよーくわかりました」と答えた半右衛門、
「それでは気が変わられましたら、一つ宜しくお願い申します」と言ったあと、次のように続ける。
「まぁ、顔つなぎに一献どうぞ」

商談が不首尾に終わったのに酒に誘うが、それは不首尾に終わったからでもある。このまま別れてしまうと、今回の仕掛け話が完全に消滅するおそれがある。切らないでおき、日をおいてもう一度頼むと、受けてもらえるかもしれない。そのためにも、一杯やっておきたいというのが、半右衛門の心算である。
「顔つなぎ」は、辞書には、「人に忘れられないように、折りに触れて訪問すること」とあるが、実際はこの半右衛門のような用い方をする。

このようなことは現代の表社会にも普通にあり、そういう場合に「顔つなぎ」という言葉を活用することができる。
たとえば、新規の仕事をA社に頼みたいが、社内の事情があって、A社ではなくB社に依頼することになったC社の担当者は残念でたまらない。せっかく結びかけたA社との関係、A社の担当者との関係を反故にしたくないC社の担当者、
「今回は残念な結果に終わりましたが、次はぜひ、御社にお願いしたいと思います」と言い、さらに次のように続ける。
「顔つなぎに一杯やりましょう」

「顔つなぎに」という言葉を用いるとき、その言葉の奥には「忘れられないように」との思いがこめられている。前述したように、「顔つなぎ」には「人に忘れられないように、折りに触れて訪問すること」の意で、「顔つなぎに会に出席する」こともあるし、「顔つなぎ営業」という言葉もある。
取引が不首尾に終わった場合に限らず、ビジネスの話が終わったときなど、「顔つなぎにちょっと一杯やりませんか」とか「顔つなぎに食事でも……」とさらりと誘うと格好いいのではないだろうか。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。