【角打ち(かくうち)】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉
「角打ち」という言葉がポピュラーになり始めたのは、バブル経済がはじけてからだろうか。今や、居酒屋や立ち飲みの記事やガイドブックでは「角打ち」がかならず載っている。
「角打ち」は本来、酒屋の店頭でコップ酒を飲むことをいう。四角い升の角に口を付けて飲むことから、この名が付いたという説がある。『日本国語大辞典』(小学館)には、「酒を升にはいったまま飲むこと。升飲み」とある。
それが今では、立ち飲みの店のことも「角打ち」 というし、角打ちを標榜している居酒屋もある。
北九州の小倉は角打ち発祥の地といわれている。北九州はかつて、官営八幡製鐵所をはじめとする工業地帯が広がっていた。仕事終わりの労働者はこぞって酒屋に集まり、コップ酒をあおる。
子供の頃に見たが、コップ酒をついでもらうや、一気に飲み干し、五十円玉だったと思うが、ワンコインをパチンと鳴らすように置き、「ごっそうさん」といって出ていく。もちろん、つまみなしである。今振り返ると。それはそれで格好いい風景だったと思える。昭和三十年半ばの頃のことである。
これが角打ちの流儀だった。飲む酒は、冷やの日本酒だった。
一杯しか売らない店もあったと記憶している。一軒寄って一杯やり、その後にもう一軒別の酒屋に寄って、もう一杯やる猛者もいた。
九州を放浪していた詩人の高木護さんの小説には、角打ちで一杯やる場面が時々出てくるが、角打ちに括弧で(コップ酒)と注を付けている。
父親の本籍が九州だった作家、檀一雄の小説にも角打ちという言葉が時々出てくる。日露戦争前夜、密命を帯びて中国大陸の奥深く潜入した元新聞記者が主人公の愛と冒険の長編小説『燃える砂』における、料亭にお使いできた青年と女将の玄関口でのやりとりの場面。
「ちょっとお待ちになってくださいまし……」 三千代があわてて、運んできた角打ちの冷酒を、青年は、たてつづけに、ククーッ、ククーッ、と三杯傾け、
「うまか酒バ拝領しました」
この場合は、冷やのコップ酒を立って飲むことを「角打ち」と表現している。言葉を使っている。
角打ちという言葉について、柳田国男の『木綿以前の事』には次のように書かれている。
「現在は紳士でも屋台店の暖簾をかぶつたことを、吹聴する者が少しづつ出来たが、つい近頃までは一杯酒をぐいと引掛けるなどは、人柄を重んずる者には到底出来ぬことであった。酒屋でも「居酒致し候」といふ店はきまって居て、そこへ立ち寄る者は、何年にも酒盛りの席などには連なることの出来ぬ人たち、たとへば掛り人とか奉公人とかいふ晴れては飲めない者が、買っては帰らずそこに居て飲んでしまふから居酒であった。是をデハイともテッパツともカクウチとも謂つて、すべて照れ隠しの隠語のやふなをかしい名で呼んでいる」
角打ちも時代とともに様変わりしていったと思われる。昭和五十五年頃、業界誌勤めの仕事帰りに秋葉原の酒屋で時々飲んだことがあるが、つまみにクラフトチーズを一つ頼んだりした。角打ちを教えてくれた、はるか年上の元新聞記者は、冷やの日本酒を三杯ほどきゅー、きゅー、きゅーと立て続けにあおる。こんな人に毎日つき合ったらつぶされると思った。
今の酒屋での角打ちは、料理はたくさんあり、立ち飲みの居酒屋となんら変わらないところも少なくないようだ。こった料理や名酒を競い合っているむきもある。
とはいえ、「角打ち」という言葉には、隠語めいた、やくざっぽい語感が感じられる。「ちょっと角打ちに寄ろうじゃないか」といって後輩や若い人を誘うのも格好いいかもしれない。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。