【適当にみつくろって】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉
馴染みの飲食店で、まずはビールを頼み、
「おつまみは何にしましょうか」と聞かれ、
「うん。適当にみつくろって」と答える。いかにも、おとなの感じがする。
「みつくろう」には、「適当に選んでととのえる」という意味がある。この場合の「適当」は本来の「目的や条件にあてはまっていること。分量や大きさなどがほどよいこと」という意味で、「その場限りで、いい加減に」という意味ではない。
だから、店の側も、吟味した一品を出すのである。店の人が「今日はマグロとブリのいいのが入りました。それと、赤貝もありますが……」と応じ、客が「うん、三つとも、少しずつね」と答える。
「おつまみは何にしましょうか」と「適当にみつくろって」は対語であり、格好いいが、もっと格好いいのは、店の側に聞かれる前に
「適当にみつくれって(くれ)」と一言、言うことであろう。
つまみについては、「今日は何があるかなあ」とか、「今日のお勧めは何ですか」と聞く場合があるが、そんなことは聞かず、「みつくろって(くれ)」と一方的に伝えるほうが格好いいと思えるが、その底には、
「男は食べ物のことであれこれ細かいことを言わないほうがいい」という古い感覚の美学があるからではないか。
深田祐介の『新西洋事情』に「適当にみつくろってくれや」という場面が描かれている。日本企業の欧州駐在員は接待も重要な仕事で、接待にまつわる話が書かれている。舞台は日本が高度成長期の時代のヨーロッパである。
「本社が接待を依頼してくる相手というのは、それ相応の社会的地位にある人物と考えてまず間違いがありません。ご存じのとおり、日本では、社会的地位の上がるにつれて、受け身型人間に変身し、相撲でいえば、受けて立つ横綱相撲をとらなくちゃならないんです」
受けて立つ身が、面識のない人間に招待を受けたとなると、ただひたすら恐縮するばかりで、「いえ、私は何でも」とか、「旅行中なんで、ほんの軽いものを」とか、そんなせりふしか出てこない。食べたい料理の註文を引き出すのに、それこそ大汗をかかないとならない。こういう心理パターンを盛った日本人に最適の料理は日本料理になる。というわけで、文はつぎのように続いている。
「『私はもう至って好き嫌いのないほうで』お客はお客でそういうきまり文句をいえば、こちらはこちらで『適当に見つくろってくれや』そういう決まり文句を仲居さんにいい、あとは一汁一菜、二汁五菜、息つく閑もあたえぬ猛烈なスピードで登場する仕組みになっております」
「適当にみつくろって」は、飲食店で使うと格好いい、大人のせりふである。これらの店での注文の仕方には「おまかせ」と「おこのみ」があるが、「おまかせ」に相当するのが「適当にみつくろって」である。とくに、寿司屋や割烹で用いるのがふさわしく、二つの言葉のうち、板さんに好まれるのは「おまかせ(適当にみつくろって)」である。
また、自分で料理を選ぶのは面倒くさいし、迷うという人も、「おまかせ(みつくろって)」にすれば、わずらわしくない。品書き、メニューを見て、何を選ぼうかと迷っているは、格好いいとはいえないだろう。
こういうとき、男なら迷わず「適当にみつくろって」というと格好いいが、女性の場合はというと、「適当にみつくろってください」も悪くはないが、「何にしましょうか」と聞かれたら「それでは、おまかせで……」ぐらいが奥ゆかしいのではないか。
ただし、初めての高級そうな店で「適当にみつくろって(おまかせで)」というのは、懐を気にしない場合に限られる。
文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。