【察してください】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

【察してください】- 現代に使いたい日本人の感情、情緒あふれる言葉

日本人は、察することを大事にしている。日本は「察する文化」の国で、人の気持ちや立場を察することが求められる。人が言葉に表さなくても、状況などから、その人の心をおしはかる。「察する」は辞書には、「他人の気持ちをおしはかって同情する。おもいやる」とある。

「口に出さないとわからない」という欧米の文化とは違うのである。だから、察することができない人、察することをしない人は、「空気が読めない人」だと、批判、非難され、敬遠される。
欧米では、人に「察する」のを求めるのは無理な話。「少しは察してくれたら」と思っても、言葉にして言わないほうが悪いのである。だから、彼の国の人たちからすると、「察してほしい」と人に期待するのは、厳しくない世界に生きる、おめでたい甘ったれ以外のなにものでもないということになるのだろう。

察していても言葉に表さない限り、何もわかっていない、気づいていないということになる。とはいえ、日本でも次第に、察する感覚が鈍くなってきたように思える。察してくれるのを期待していたら、「言わなきゃわからない」と怒られたりすることもあるようになってきた。
また、察しているけれど、それが相手に伝わると面倒なので、察していないふりをする場合もある。このように考察すると、「察する」は面倒な言葉だと思わされる。

とは言え、人の気持ちに対して、「お察しします」というのは、非常に便利な言葉である。たとえば、夫婦のどちらかを亡くした人に対して、
「さぞおつらいでしょう」などと直裁的に感情語を使うより、「お察しします」の一言のほうが、人のつらい気持ちをよく理解しているということになるのである。
「察する」を英語に訳すと「sympathize」であるが、この語を日本語に訳すと「同情する。気の毒に思う」とある。「察する」という言葉のキモは「他人の気持ちをおしはかる」ことにあり、「sympathize」にはそれが必ずしもあるとは思えない。このことからも、「察する」は「sympathize」よりも、深く、高度な言葉であると思われる。

親しい人がつらい状況にあることがわかったとき、「そうだったのか。察しもしないで悪かった」と率直と謝ると、相手の気持ちをぐっと引きつけることができるだろう。
また、自分がつらい心境にあるとき。他人が野次馬根性であれこれ聞いてきても、何も言いたくない場合、「すみません。察してください(お察しください)」と言えば、相手がこちらの心に踏み込もうとするのを遮断できる。

 

文:東/茂由 ライター
1949年、山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。現代医学から東洋医学まで幅広い知識と情報力で医療の諸相を追求し、医療・健康誌、ビジネス誌などで精力的に取材・執筆。心と体、ライフスタイルや環境を含めて、健康と生き方をトータルバランスで多面的に捉えるその視点に注目が集まる。